《「音楽」に生きた王子》Prince(1958-2016)

[記事公開日]2021/1/31 [最終更新日]2021/10/23
[ライター]小林健悟 [編集者]神崎聡

Prince 4EVER

プリンス氏は、シンガーソングライター、プロデューサー、ダンサー、そして映画俳優までこなした天才的なミュージシャンで、ギターをはじめ何十種類もの楽器を演奏でき、4オクターブ半という広い声域を持っていました。毎年のように発表したアルバムは生涯で39枚を数え、世界中で1億5千万枚以上を売り上げました。また毎年のようにツアーを敢行し、5本の映画に出演しました。還暦を待たずして惜しくも鬼籍に入りましたが、膨大な未発表曲が発見されました。今回は、このプリンス氏に注目していきましょう。


Prince – Super Bowl XLI 🏈 | Halftime Show 2007 FULL SHOW HD
伝説となった、2007年NFLスーパーボールのハーフタイムショー。「シンボル」をかたどったステージ、大爆発からのせり上がり登場、花火打ちまくりからのギター弾きまくり、マスゲームとのコラボという、これ以上ない演出。ラストの名曲「パープルレイン」に至っては、降りしきる雨すら味方につけています。

殿下の生涯

たぐいまれなる才能への敬意を込め、日本でプリンス氏は「殿下」と呼ばれ、親しまれました。プリンス氏の生涯を、ざっと見していきましょう。

少年時代

プリンス・ロジャーズ・ネルソン氏(本名)は1958年6月7日、ミネソタ州ミネアポリスに生まれました。マイケル・ジャクソン氏、マドンナ女史とは同い年です。マドンナ女史とは共演もありましたが、マイケル氏に対しては強烈なライバル心を燃やしていたようで、マイケル氏からのオファーが幾度かあったものの、共演は実現しませんでした。

両親ともミュージシャンで、「自分がやりたかったことを全てやってほしい」との思いから、父親のステージネーム「プリンス・ロジャーズ」を命名されました。7歳で初めて作曲し、10歳の頃にはソウル・ミュージックのゴッドファーザー、ジェームス・ブラウン氏のステージを生で観て、ステージを仕切る姿に感銘を受けます。ハイスクールではスポーツに精を出すかたわら、クラシックバレエを学びました。

ソングライター/プロデューサーのジミー・ジャム氏(特にジャネット・ジャクソン女史のプロデュースで名高い)に会った1973年、氏の音楽的な才能、幅広く楽器が弾けること、そしてビジネスの考え方に感銘を受けます。いろいろあって、19歳でワーナー・ブラザーズと契約します。

初期の活躍


Prince – Dirty Mind (Official Music Video)
映像でも歌詞でも、性的に露骨な内容。そして人によっては直視に堪えないステージ衣装。しかし、ファンにとってはむしろ通常運行。

デビューアルバム「For You(1978年)」は、1曲以外全てのパートを自分で演奏しました。19歳時点で30種類ほどの楽器を演奏できたと言われます。初期は売れ行きこそ芳しくなかったものの、露骨に性的な表現が話題となり、じわじわと認知度を上げていきます。1982年のアルバム「1999」で遂にブレイク、全米で400万枚を売り上げました。


Prince – Little Red Corvette (Official Music Video)
アルバム「1999」より。当時のMTVはブラックミュージックに否定的と思われていましたが、マイケル・ジャクソン氏の「ビリージーン」とともに、黒人アーティストとして初めて放映されました。

「Purple Rain」での成功


Prince & The Revolution – When Doves Cry (Official Music Video)
アルバム「パープルレイン」からシングルカットされた1曲。映画の主演とサントラを自分がやるという一世一代の大勝負でしたが、プリンス氏は実験的要素に満ちた果敢な姿勢を貫きました。とくにこの曲はベースが無く、ギターもオープニングのみ、という大胆なアレンジ。こういう作風から「弾かないギタリスト」なんて言われることも。

1984年のアルバム「パープルレイン」は、同名の初主演映画のサウンドトラックです。「パープルレイン」は映画もアルバムもシングルもあり、注意が必要です。

映画は大成功をおさめ、アルバムは初週で100万枚を売り上げました。チャート1位はこれが初めてですが、そのまま24週もの間トップを維持し、合計で122週間チャートインしました。映画でもアルバムでもシングルでも1位を獲得し、ここでプリンス氏は1980年代のポップシーンを代表するアーティストとなりました。その人気ぶりは、のちに「ロナルド・レーガン大統領(当時)よりも人気のある男性は、アメリカに1人しかいなかった」と語られたほどです。

現在でもこのアルバム「パープルレイン」は史上最高のアルバムの1つと見なされており、2010年にはグラミー殿堂賞を受賞、2012年には米国議会図書館の「文化的、歴史的、または美的に重要な」録音物の国立録音登録リストに追加されました。映画「パープルレイン」は2019年、国立フィルム登録簿に追加され、半永久保存を推奨されました。

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発音できない名前に改称

プリンス氏は次々とアルバムを発表、順調に活動を続けましたが、1993年、ワーナー・ブラザーズとの再契約が法廷闘争にまで発展しました。プリンス氏は副社長に就任、当時の音楽史上最高額という1億ドルの契約金など破格の待遇でしたが、それだけに制約が重くのしかかり、自由に音楽を作れなくなってしまったのです。自分の名前が今や会社のものであると感じ、プリンス氏は自分の名前を捨て、何と読むか判らない記号に改称しました。ご自身も、特に読み方を定めていませんでした。

錬金術にルーツを持つという、男女(♂♀)を組み合わせたような記号でしたが、困ったのはラジオパーソナリティです。仕方なく「元プリンス(the Artist Formerly Known As Prince。かつてプリンスとして知られたアーティスト)」と読んでいました。


Prince – Gold (Official Music Video)
前代未聞のキンキラキンのギターに、足元はがっつりエフェクターの列。しかもちょっとしか弾かないのがプリンス流。しかしそのちょっとが、すごくかっこいい。だからこそのプリンス。ワーナーブラザーズ社との法廷闘争中、プリンス氏は顔に「SLAVE(奴隷)」と記していました。

快進撃からの突然の死

いろいろあって、2000年には「プリンス」の名を復活させます。代名詞でもあったエロキモカッコイイ路線から脱却、アダルトかつダンディーなプリンスとして再起動しました。2004年にはロックの殿堂入りを果たし、ツアーでは全米で年間最高の観客動員数と収益を記録、翌年のグラミー賞では2部門を受賞します。2006年のアルバム「3121」は初めて、初登場1位を獲得しました。2007年のスーパーボウルにおけるハーフタイムショーは、今なお超える者のない伝説となっています。

ある日、プリンス氏は自宅兼スタジオのエレベーターで倒れているところを発見されました。享年57。鎮痛剤の過剰摂取による中毒死とされましたが、それまでに154時間(6日間と10時間)不眠で作業していたと伝えられます。その訃報には、世界中のファンが悲しみました。後日、プリンス氏の金庫から何十枚ものアルバムと50本以上のミュージックビデオを含む、膨大な未発表曲が発見されました。

プレイの特徴

プリンス氏はファンクを筆頭に、R&B、ラテン、カントリー、ロック、ニューウェーブ、クラシック、ソウル、シンセポップ、サイケデリア、ポップ、ジャズ、インダストリアル、ヒップホップなど、さまざまなスタイルをミックスした独特の音楽世界を構築していました。

プリンス氏の演奏には「響きの美しいカッティング」、「情熱的なリードプレイ」、そして「ギターを弾くかどうかは音楽が決める」という3つの特徴が見られます。ギターを愛し、ギターを最も得意とはしましたが、プリンス氏はギタリストではなくアーティストでした。氏にとって、あらゆる楽器が音楽のためにのみあり、音楽が目的なのであってプレイは目的ではないのです。

響きの美しいカッティング

プリンス氏のカッティングは、ツヤッツヤのクリーントーンと、テンションを活用した独特のボイシングが持ち味です。グルーヴはリズム体(ドラムとベース)に任せ、カッティングはそこに彩りを加えるものとして機能します。


Prince & The Revolution – Kiss (Official Music Video)
ちょっと鳴らすだけのカッティングは、後半から鳴りっぱなしに。12フレット近辺でテンション(11th)を効果的にからめた、美しい響きが確認できます。


Prince – 1999 (Live at The Summit, Houston, TX, 12/29/1982)
いまどきなかなか見られないギンギラギンの衣装と、足並みをそろえるステージアクション。これが「80年代」というものです。

情熱的なリードプレイ

ジミ・ヘンドリクス氏からの影響は当然として、サンタナ氏からも強く影響を受けているというプリンス氏。弾かない時はぜーんぜん弾きませんが、ひとたび弾けばその達人ぶりをいかんなく発揮します。ぶっといディストーションで奏でるリードプレイは熱く、情熱的です。プレイ内容にはブルースやロックの手法に通じるものがあり、実は昔堅気なギタリストなのだということが分かります。なお、ソロであれバッキングであれ、ディストーションをかけている時にはリアピックアップ近辺でピッキングするのがプリンス流のようです。


Prince, Tom Petty, Steve Winwood, Jeff Lynne and others — “While My Guitar Gently Weeps”
名手たちと共演する、ジョージ・ハリスン氏の名曲。後半からエモーショナルなソロをしっかり聞かせてくれます。この動画では、弾き終わったギターを投げるところまで確認できますね。

定番系エフェクターの活用


Prince – Whole Lotta Love (Live At The Aladdin, Las Vegas, 12/15/2002)
レッド・ツェッペリンの名曲をライブでカバー。いつもながら弾く時は弾くプリンスですが、ピッチが下降する面妖なディレイを効果的に使っているのがポイントです。なお、この演奏を最後に、クラウドギターは引退しました。

BD-2(ブルースドライバー)、DS-2(ディストーション)、MT-2(メタルゾーン)、BF-2(フランジャー)、DD-3(デジタルディレイ)、というように、プリンス氏の足元にはBOSSのエフェクターがずらりと並びます。ここにジム・ダンロップ社製ワウペダル、デジテック社製ワーミーペダル、LINE6社製MM4(モジュレーション系マルチ)が加わります。全てが定番系であり、「深いこだわりがないのでは」という意見もあります。しかし、毎年のようにツアーに出た身ですから、行く先々で何かがあってもすぐ買い直すことができる、というリスクヘッジの意味もあったろうと考えられます。

使用ギター

プリンス氏は100本以上のギターを持っていたそうですが、代表的なものを見ていきましょう。他の誰とも全く違う個性が、使用ギターからもじゅうぶん伺えます。

MAD CAT


Prince & The Revolution – Let’s Go Crazy (Official Music Video)
弾くときは弾くのがプリンス。そしてあまりにも巧い。2分42秒あたりで、超絶な早技でボリュームを上げるところが確認できますが、これ一つとってもなかなかカンタンにできるものではありません。

キャリアを通して愛用されたテレキャスター・タイプ「マッドキャット」は、日本のH.S.アンダーソンが製作、海外では「Horner(ホーナー)」のブランド名で流通しました。プリンス氏の愛用によって世界的に有名なギターになりましたが、それまで注目されることはなく、70年代当時には合計500匹ほどしか生産されていません。

ネコ科を思わせる意匠が第一の特徴ですが、ボディ構造とリアピックアップのマウント法が楽器として他にはない大きな特徴です。ボディはメイプル+アッシュ+メイプルの3層構造で、中央をウォルナットが貫いています。ネック裏のスカンクストライプと一直線になるのがチャームポイントです。リアピックアップは、ピックガードと同じ素材のプレートにマウントされています。キレが良くエフェクターとの相性も良いキャラクターで、かつ弦長がミディアムスケールとあっては、プリンス氏が気に入ったのも納得です。

H.S.Anderson HS-1 MAD CAT

名機「マッド・キャット」は、H.S.アンダーソンのブランド名で復刻されています。現代版のマッドキャットはオリジナル同様のルックスと木材構成で、ビル・ローレンス社製ピックアップを装備しています。オリジナルのベントサドルからブロックサドルへ、またリアピックアップが2点留めから3点留めになっているのが変更点です。

Cloud Guitar

Prince & The Revolution – Purple Rain (Live 1985) [Official Video]
歌い始めるのが6分20秒からという、なかなか長尺なライブ。オープニングのイナたい演奏はマッドキャットで行い、歌に入る時にクラウドギターに持ち替えます。クラウドギターは映画「パープルレイン」のクライマックスで初めて登場。以後、名曲「パープルレイン」を演奏する時はこのギターを使うのが定番となっています。

「クラウド・ギター」の名は、雲(クラウド)を思わせるエレガントな曲線美が由来です。ある日NYのショップで見つけたハンドメイドのベースを大いに気に入ったプリンス氏が購入、マッドキャットを買った店にこれを基にしたギターの制作を依頼したことで作られました。ホワイトを始めいろいろなカラーで作られましたが、イエローの個体は六本木のハードロックカフェに飾られています。

ボディ、ネック、指板まで全てメイプルのスルーネック構造で、弦長は24.75インチ(ギブソンスケール)、ネックの握りはかなり細みだったと伝えられています。EMG「SA」と「81」のピックアップ構成はプリンス氏のお気に入りで、他のギターにも採用されています。フロントピックアップの取り付け方が独特で、ボディ背面から挿入、ボディトップをエスカッションに使用することで、この部分の外観をスッキリと整えています。今では珍しいブラス製のナットが採用されているところもポイントです。ゴールドパーツとのマッチングも良いですが、コシの強いアタックと長いサスティンが得られます。

Symbol Guitar


Prince – Interactive
「インタラクティブ」は通常のCDとして聴けるほか、PCに突っ込むとゲーム、音楽、ミュージックビデオ、ペイズリーパークスタジオのバーチャルツアー、その他のマルチメディアを楽しめる「インタラクティブマルチメディアCD-ROM」として発表されました。こういう発想は、どこから来るのでしょうか。

発音できない記号(シンボル)に改称した時期に使いだした、大胆と言うほかない変形ギター。第一号のゴールドはギター製作家ジェリー・アウアースヴァルト氏の手によるもので、クラウド・ギター同様オールメイプルのスルーネックに、SH配列のEMGピックアップを備えています。これをツアーに持ち出すのを嫌い、持ち出し用にホワイトとブラックが作られました。プリンス氏は弾き終わったギターをスタッフに放り投げるのが常ですが、受け損ねて白黒ともにぶっ壊れる惨事がありました。

そこでシェクターUSAに依頼してできたのが、パープルのシンボル・ギターです。ここで初めてFRTが搭載されました。制作を担当したのは日本人だというのですから、誉れ高いですね。


以上、プリンス氏について見ていきました。氏は天才的なアーティストでしたが、一流のビジネスマンでもありました。会社を相手に法廷闘争を展開したり、誰よりも早く採用したネット配信を、海賊版が横行している状況を理由に解消したりというように、アーティストとしての権利をしっかり主張し続けました。

また煌びやかなステージとは裏腹に、2度の結婚で2回とも我が子を失う悲劇に見舞われるなど、悲しみや苦労も大いにありました。プリンス氏を陰に日向に支えたシーラ・E女史の、プリンス氏と過ごした時間の美しい物語を伝える映画「ガール・ミーツ・ボーイ」が公開されるとのことなので、ぜひチェックしてみてください。

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