エリック・クラプトン(Eric Clapton)
アルバム「マネー・アンド・シガレッツ」のジャケ写
世界三大ギタリストと評される内の一人、エリック・クラプトン(他二人はジェフ・ベック、ジミー・ペイジ)。"ギターの神"と評されることもあります(もちろんジミ・ヘンドリックスは別格です)。ギタリストとして、ボーカリストとして、作曲者として常に第一線で活躍し、60年代から現在に至るまで活動を続けているアーティストです。
彼の人生は常に苦悩に彩られていました。周りの人間の死(彼の親友であるジミ・ヘンドリックス、スティーヴィー・レイヴォーン、また実の息子の死など)、恋の苦悩(ビートルズのギタリスト、ジョージハリソンの妻パティとの三角関係)、アルコール中毒、ドラッグ中毒など。。。
しかし彼は苦境が訪れるたびに、時には親友の力を借りて、それを乗り越え自らの音楽に深みを加えてきました。
Eric Clapton / Layla @Budokan 2014 – エリック・クラプトン / いとしのレイラ(プレーンズ、トレインズ&エリック ~ ジャパン・ツアー 2014)
Biography
1945年3月30日 生 英サリー州リプレー
母親は当時16歳の未婚の母で、生まれたばかりのクラプトンを残して別の男と駆け落ちをしてしまいます。そのためクラプトンは母親の両親(祖父母)に引き取られることとなりました。10代になりマディ・ウォーターズやロバート・ジョンソンの影響によりブルースにのめりこむようになります。遂には祖父母に頼み込んでアコースティック・ギターを買ってもらうことになりました。’60年代初頭、学生時代の友人にルースターズを紹介されるも、半年ほどで解散。そんな時、ヤードバーズからのオファーがクラプトンのもとに転がり込んできました。このヤードバーズに参加したことがクラプトンにとってもヤードバーズにとっても大きな転機となるのでした。
ヤードバーズ(The Yardbirds)時代
ローリング・ストーンズが全米デビューしたことで、数多くのクラブからバンドの出場枠が空きました。そんな中にストーンズの後釜として抜擢されたのがヤードバーズでした。クラブの中で徐々に人気を博していったヤードバーズに目をつけた一人の男がプロデューサーのジョージオ・ゴメルスキーです。彼とマネージメント契約を結んだヤードバーズは念願のメジャー・デビューを果たし、全国規模のツアーをこなし、バンドの知名度は上昇していきました。
ゴメルスキーはさらに売れるためにブルースよりも多くの一般に受け入れられるポップ路線にバンドを走らせようとします。そのためゴメルスキーは3rdシングルに「For Your Love」を用意します。明らかなヒット・チャート狙いのゴメルスキーのやり方に不満を抱いたクラプトンは「For Your Love」で完全にキレてヤードバーズを脱退するのでした。
ブルース・ブレイカーズ(John Mayall & The Bluesbreakers)時代
次にクラプトンが加入したのは、当時のブリティッシュ・ブルース・シーンで人気を誇っていたジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズでした。そこで残した作品『Bluesbreakers With Eric Clapton』は今でも名盤として名高い作品です。
クリーム(Cream)時代
その後、自分の音楽性の追及により’66年に“史上最強のロック・トリオ”クリームを結成。3人のアドリブの応酬によるライヴが話題を呼び絶大な人気を誇ることになります。しかし、3人の個性が衝突して出来上がるものだっただけに確執も深まりクリームは’68年に解散してしいます。
数々の苦悩を経て…
Eric Clapton – I Shot The Sheriff (Live from Crossroads 2010)
次にクラプトンは当時スーパー・バンドと呼ばれたブラインド・フェイスを結成、しかしこの頃からドラッグとアルコールに入り浸るようになっていくのでした。
その後、ブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーで出会ったデラニー&ボニーの影響でデレク&ザ・ドミノスを結成するも’71年に解散。その後しばらくドラッグとアルコールに入り浸る隠遁生活を続けます。
リハビリによってドラッグとアルコールを克服したクラプトンは『461 Ocean Boulevard』で完全復活を遂げます。以降クラプトンは独自のソロ路線を突き進むも彼に"愛する息子の死"という悲劇が訪れたのでした。これに対しクラプトンは鎮魂歌として「Tears In Heaven」を息子に捧げます。この曲により幅広いファン層を獲得することとなりました。(1992年に全米シングルチャート第2位を記録)
近年、ロバート・ジョンソンのカヴァー・アルバム『Session For Robert J』をリリース、ジョン・メイヤーとの競演など、彼のブルースの旅は今も続いています。
Eric Clapton – Change The World (Live Video Version)
ギタープレイの特徴
ヤードバーズ、ブルース・ブレイカーズ、クリームでのプレイ、ブラインド・フェイスの全米ツアーで知り合ったデラニー&ボニーの南部ロックへの憧れに始まる後のソロ作から現在まで、直接的であれ、間接的であれクラプトンは一貫して大枠でブルースというスタイルを離れたことはありません。
1992年のアンプラグド(Unplugged) 大成功後に、全曲ブルースのカヴァー集"From The Cradle"を発表したことなどを思い出してもらえば、このこと理解できるでしょう。クラプトンにとってブルースとは、いわば「絶対的なもの」としてあり、「永遠の憧れ」であり、「信仰」であり、常に戻っていける「安息の地」なのです。
Eric Clapton – Cocaine (Live Video Version)
使用機材
エレキギター
愛用したエレキギター:56年製フェンダー・ストラトキャスター「blackie」
最も有名で長年愛用した"ブラッキー"(’56年製のフェンダー・ストラトキャスター)の愛称を持つギターは、友人でもあったジミ・ヘンドリックスがライブパフォーマンスでよくギターを壊すことから、彼へのプレゼントとして、ツアー先で楽器店に立ち寄る都度、程度の良いストラトキャスターを見つけては購入していました。しかしツアーが明けエリックが買い求めた幾本ものギターをプレゼントする直前に、彼はドラッグ・オーバードーズで死んでしまったため結局プレゼントするにはいたりませんでした。
エリックは自身が買い求めた同じ型のギターをパーツごとに分解し、それぞれのパーツで最も良いものを1つずつ選んで一本のギターにしたのがブラッキーだという逸話もあります。
シグネイチャー・ストラトキャスター
エリック・クラプトン・シグネイチャーの「ブラッキー」は、ブラックカラー x メイプルネックにヴィンテージノイズレスPUを搭載、シグネイチャーモデルの域を超えてプロ・ギタリストの愛用も多いモデルです。
Eric Clapton シグネイチャー・ストラトキャスターを…
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Journeyman Relic Eric Clapton Signature Stratocaster
2017年5月、フェンダー・カスタム・ショップからリリースされた新しいシグネイチャー・モデルのストラトキャスター。ソフトVシェイプのメイプルネック、3基の「Vintage Noiseless」ピックアップ、取り外し可能なトレモロユニット、クラプトンのサイン入りヘッドストックと、氏のこだわりを凝縮したモデルとなっています。2ピースアッシュのボディ材は、うっすら杢目が透けて見える上品な仕上がりに。「オーナーチェンジを繰り返しているが、比較的キレイな状態」を再現、ダメージの具合が比較的少ないレリック加工が施されています。
フェンダーからJourneyman Relic Eric Clapton Signature Stratocaster登場 – ギターニュース.com
エフェクター
クライベイビーのワウ、コーラスやフランジャーを好んで使用しています。
エリック・クラプトン エフェクター – Supernice!エフェクター
Discography
John Mayall & Blues Breakers with Eric Clapton
ヤードバーズのポップ・ヒット・ナンバー「フォー・ユア・ラヴ」に嫌気がさし、グループを脱退したエリック・クラプトンが純粋なブルースを求めて、ジョン・メイオール率いるブルース・ブレイカーズに参加した唯一のアルバム。
クラプトンの歴史上においても屈指の名演が収録されています。
1966年リリース作品
Cream / Flesh Cream
ロック史上最強のトリオと言われたクリームは、ブルースをルーツに自らの音楽を追求すべくクラプトンと、ブルースやジャズに根ざした新たな音楽を模索しようとしていたジャック・ブルースとジンジャー・ベイカーの二人が結成。
1966年リリース作品
Cream / Disraeli Gears(邦題:カラフルクリーム)
デビュー・アルバムでの荒削りな部分を修正し、完成度の高い仕上がりになった彼らの最高傑作。
ヘヴィなギター・リフとリズムが後のハード・ロックやヘヴィ・メタルの元祖ともいうべき名曲「サンシャイン・ラヴ」、古典的なブルースをベースにしながらも、クラプトンのヴォーカル共々独特の浮遊感をもつ「ストレンジ・ブルー」等サイケデリックでダダイズムな世界観を展開
1968年リリース作品
Cream / Wheel Of Fire(邦題:クリームの素晴らしき世界)
実験性や革新性のスタジオ盤と、怒濤の如く白熱したインタープレイを聴かせていたライヴ盤が収録された二枚組みアルバム。
名曲「ホワイト・ルーム」、ブルース自身が弾くチェロの響きがなんとも不思議な感覚を起こさせる「お前の言うように」、ブルースのチェロとパパラルディの弾くヴィオラがクラシカルで独特の雰囲気を残す「荒れ果てた街」など聞き所満載。
1968年リリース作品
Derek & The Dominos / Layla And Other Assorted Love Songs(邦題:いとしのレイラ)
名曲「いとしのレイラ」を含む、彼の最高傑作に推すファンも多いロック史上に輝く名盤。
スワンプ・ロックの名作ですが、ゲストとして、オールマン・ブラザース・バンドの“スカイドッグ”ことデュアン・オールマンが参加し、素晴らしいスライド・ギターを弾いている
1970年リリース作品
Eric Clapton / 461 Ocean Boulevard
ヒット曲となったボブ・マーリーのカヴァー曲"アイ・ショット・ザ・シェリフ "、またクラプトンの音楽の根幹であるブルース性は、ロバート・ジョンソン、エルモア・ジェームズのカバー曲の中に息づいている。
ドラッグ中毒からの復帰作で、ライブはまさにクラプトン版癒しミュージック。レイドバックした、リラックスしたライブでゆったりと聴けます。
1974年リリース作品
Eric Clapton / There’s One In Every Crowd(邦題:安息の地を求めて)
前作の『461 Ocean Boulevard/461 オーシャン・ブールバード』で聴かせたレイドバック・レゲエ・サウンドをさらに深く掘り下げたアルバム。
正攻法の南部風レイドバック・サウンドといった感じですが、アコースティックなフォーク風のギターとスライド・ギターの絡みがなかなか渋い魅力を持っています。
1975年リリース作品
Eric Clapton / Slowhand
前作までのレイドバックサウンドと変わって、本作では再びシンプルなバンド・サウンドに立ち返っています。
「Cocaine/コカイン」、「Wonderful Tonight/ワンダフル・トゥナイト」、「Lay Down Sally/レイ・ダウン・サリー」と冒頭から立て続けに3曲も、超有名曲が収録。
1977年リリース作品
Eric Clapton / Unplugged
92年3月に出演した『MTV アンプラグド』の模様を収録したライヴ・アルバム。
実の息子であるコナーの死、朋友スティーヴィー・レイ・ヴォーンが事故死など、彼の身に悲劇が降りかかった時期の作品。
1992年リリース作品
Eric Clapton / From The Cradle
彼がブルース・アルバムを発表したのは本作が初めてで、全16曲全てブルースの名曲群のカヴァーで占められています。
自らの音楽活動の基盤となっているブルース・ミュージックに対してありったけの敬意を込めようとする彼の姿が見て取れます。
1994年リリース作品
Eric Clapton & B.B. King / Riding With The King
彼が常に敬愛してやまないブルースマンの一人であるB.B.キングとのコラボレーション・アルバムということで、ロック・ファンのみならずブルース・ファンにも注目の一枚となりました。
以前からクラプトンはBB・キングのアルバムに参加するなどして、何度か共演をしていましたが、二人で共にアルバムを制作するのは勿論これが初めてです。
2000年リリース作品
B.B. King, Buddy Guy and Eric Clapton Live in 2005
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[記事公開]2013年8月24日 , [最終更新日]2017/11/23