ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)

[記事公開日]2013/8/24 [最終更新日]2015/11/9
[編集者]神崎聡

ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)

ロバート・ジョンソンはブルース創世記に活躍したシンガー・ギタリストです。後世のギタリスト、キース・リチャーズエリック・クラプトンらに多大な影響を与えました。

彼は、常にクロスロード(ストリート)に立つ、ぎりぎりの生き方をしていました。彼には、家もなく、妻もなく、子もありませんでした。その上、妻と子を出産時の事故で同時に失うという悲劇を味わっていました。さらに、彼は母親の不倫によって産まれた子であったため、父親のことを知りませんでした。
だからこそ彼は自由でした。
ジューク・ジョイントと呼ばれる安酒場で歌いながら、旅を続け、街一番のブスを見つけては、彼女の家に居候、酒場では、誰彼かまわず女に手を出し、ついには、その女の旦那や彼氏ともめ事を起こし、ついには街を逃げ出す羽目になりました。そして、再びクロスロードにギターをかついで現れ、次の旅へと出発する。その繰り返しが彼の人生でした。

あらゆるポピュラー音楽は、アメリカの黒人音楽の影響を受けており、そのルーツこそ、彼が全米に広めたデルタ・ブルースにあります。
 ロバート・ジョンソンは、このデルタ・ブルースをシカゴやニューヨークなどの大都会へ、旅をしながら運んだだけでなく、レコードを吹き込むことによっても、全米各地にブルースを広める役目を果たしたと言えるでしょう。

Biography

1911年5月8日 生 米ミシシッピ州ヘイズルハースト
1929年、16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し彼女は二人の子を身篭りますが、翌1930年、ヴァージニアは出産の際に子供とともに亡くなってしまいます。悲しみを乗り越え、ロバートはアコースティック・ギター一本でブルースを弾き語りしてアメリカ大陸中を渡り歩きます。当時の聴衆はそのギター・テクニックが巧みなのに驚き「十字路で悪魔に魂を売り渡して引き換えにテクニックを身につけた」という伝説が広まりました。

生涯たった2度のレコーディング

1936年11月、ジョンソンはテキサス州サンアントニオで初めてのレコーディング・セッションに臨み、3日間で16曲をレコーディングします。1937年6月には二度目のレコーディングのためにダラスにむかい、13曲を残しています。彼が生涯に残したレコーディングはこの29曲(42テイク)だけなのです。

翌1938年死亡。死因は現在まではっきりしていません。享年27歳。


Robert Johnson – Robert Johnson’s Cross Road Blues

ギタープレイの特徴

彼は単にギタリストというだけでなく、リード、リズム、パーカッション(ギターを叩いて)、全部1人で同時に演奏して唄まで唄うという当時では考えられない(今でも類を見ない)卓越した技術と一人オーケストラのようなプレイスタイルでした。レコーディングにしても多重録音などない時代にすべて1人で一発録りです。彼が残した全29曲を聴くとピアノ・ブギのスタイルを徹底的に取り入れているのがわかります。

使用ギター

冒頭に紹介した写真ではギブソンのアコースティックギター「Gibson L-1」を抱えていますが、彼が実際に使用した機材かどうかは定かではありません。

Discography

Live at the Regal

コンプリート・レコーディングス/Robert Johnson

ひとりで弾いてるのに音を重ねているように聴こえるギター。しかもそれはテクニックを見せつけるような曲芸的なギターテクではなく、あくまで音楽のために弾かれるテクニック。70年も前の音楽なのに斬新/初めて聴く曲なのに懐かしい、ブルースの…そして全てのロックミュージックの原点・源流ともいうべきサウンドであり重要な作品。

2004年リリース作品

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