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ジョン・フルシアンテ(John Anthony Frusciante)氏は、ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(レッチリ)」在籍時の功績がとくに名高く、ジョン・メイヤー氏、デレク・トラックス氏と並んで「現代の三大ギタリスト」と呼ばれています。
レッチリではストラトキャスターをメインに使用し、ファンキーなカッティングと情熱的なギターソロを駆使することから「白いジミヘン」と呼ばれることもありました。レッチリ在籍時からソロ活動やサイドプロジェクトにも積極的で、ソロになった現在はDTMやシンセサイザーも駆使しています。
今回は、ジョン・フルシアンテ氏に注目していきましょう。
Red Hot Chili Peppers – Around The World [Official Music Video]
フルシアンテ氏の’62ストラトはピックによってボディが削られてしまっているのが大きな特徴ですが、このハードな弾きっぷりならそれも納得です
1970年3月5日ニューヨークにて、ミュージシャンの両親のもとに生まれます。9歳でギターの独学を始め、当時はすべてのコードを指一本で弾いていました。11歳からジミ・ヘンドリックス氏ら著名ギタリストの研究を開始し、フランク・ザッパ氏にハマります。15歳でレッチリの大ファンになり、最初の3枚のアルバムのギターとベースをほぼすべて耳コピーします。メンバーとも仲良くなっており、ヒレル・スロヴァク氏亡き後のギタリストとしてバンドに加入します。当時18歳でした。
それまでファンクの経験がなかった氏は、スロヴァク氏のスタイルを追いかけてバンドサウンドにアプローチします。加入第一作「マザーズ・ミルク(母乳)」はサウンド面でプロデューサーと衝突しましたが、どうにか完成させます。第二作「ブラッド・シュガー・セックス・マジック(BSSM)」は予想外の大成功をおさめ、レッチリは一気にスターダムにのし上がります。しかし身に余る支持を不満に思い、氏はツアー中にバンドを抜け、帰ってしまいます。
バンドを抜けた氏はうつ病を発症し、ドラッグに染まります。その渦中でもソロアルバムをリリースしますが、健康状態は悪く「骨と皮の状態」と言われました。また自宅が火事になり、ギターのほとんどを失ってしまいました。専門機関の世話になって社会に復帰した氏は、ほどなくドラッグの依存から完全に立ち直ります。自己規律が身体に及ぼす影響を発見し、音楽のために禁欲主義者となりました。のちに氏は、この時期は「再生の期間」であり、その間に自分自身を見つけ、心を一掃したとコメントしています。
晴れてレッチリに復帰した氏は、音楽に身を捧げます。レッチリのアルバムは次また次とクオリティを上げていき、そのさなかでソロ活動のほか、ほかのミュージシャンとサイドプロジェクトを進行させていきます。前人未到の「6か月間に6枚のソロアルバムをリリース」までやってのけました。2007年には雑誌の特集で「現代の三大ギタリスト」に選出されます。しかしその「音楽への献身」が高じ、自分の音楽をもっと探求していきたい意欲に駆られた氏は、レッチリを円満退社します。
ソロアーティストとなったジョン・フルシアンテ氏は、電子音楽に挑戦するなど新しい音楽の作り方に夢中になります。レッチリ時代よりメディアへの露出は減りましたが、今なお音楽への献身は続いています。
フルシアンテ氏は「枯れた」演奏をすると言われ、時とともにその枯れっぷりを高めてきました。高い演奏技術を持ちながら、自らの音楽がオーガニックであること、自然であることを重視しており、不自然にテクニックをひけらかすようなプレイは決して選択しません(しかし、ランディ・ローズ氏やスティーヴ・ヴァイ氏らは大好きで、テクニカルな演奏をしたいのを必死で我慢している)。またフランク・ザッパ氏に心酔していたことでもわかるように、演奏内容であれ機材の使用であれ、実験的であることを決して恐れず、特にモジュレーション系のエフェクターを大いに活用します。
様々なジャンルの音楽を聴きこみ音楽理論の知識もかなり蓄積していながら、ギターの演奏は「頭でっかち」ではいけないと考えており、
「When the intellectual part of guitar playing overrides the spiritual, you don’t get to extreme heights.(精神より知識を優先してギターを弾いていたら、上へは行けない)」とコメントしています。
フルシアンテ氏は、
を主に使用しています。「薄めのピックを使用することで、強弱の幅が広く取れる」と考えているようです。コード弾きではフロント付近やリア&センター間、ソロなど単音弾きではセンター真上やセンター&フロント間で、ワウで吠えるときはフロント寄りというように、場面に応じて感覚的にピッキング位置を選んで演奏しています。
フルシアンテ氏はこれまでに様々なギターを使ってきました。ライブではフェンダー系をメインとしながら、録音やレッチリ以外でのプロジェクトではレスポールを使用することもあります。氏のこれまでのキャリアを4つに区分し、各時期で象徴的だったギターの遍歴を追ってみましょう。
レッドホット・チリペッパーズに加入する時、フルシアンテ氏はクレイマー社製のスーパーストラトを一本持っているのみでした。レッチリに加わる際にSSH配列のアイバニーズRGを購入、のちにHSH配列のRGも使用しています。しかしこれらはライブでの使用が主体だったようで、レコーディングでは特にアームが必要でなければ使用されませんでした。
スーパーストラト派だったフルシアンテ氏ですが、当時は猫も杓子もフロイドローズを使用しており、「誰もが同じような演奏をしているように感じた」と言います。ここで氏は、ヴィンテージギターをメインに使用するようになります。
ファンク要素が必要と考えられたためか、レッチリでのフルシアンテ氏はフェンダー・ストラトキャスターをメインに使用します。アルバム「マザーズ・ミルク」では1968年製(ラージヘッド、ローズ指板)、アルバム「ブラッド・シュガー・セックス・マジック(BSSM)」では1958年製(ローズ指板)がメインで使用されました。残念ながら’68ストラトは盗難にあい、’58ストラトは自宅の火事で失われました。このほかフレットレス化したものなど、何本かストラトを使用したようです。
フルシアンテ氏が個人的に好きなギターはフェンダー・ジャガーだと伝えられ、名曲「アンダー・ザ・ブリッジ」のPVで使用した1966年製が有名です。自宅の練習にも使用するお気に入りだったようでレコーディングにもしばしば登場したのですが、ネックにデッドポイントがあったためメインとしては使用できなかったようです。このギターは現在、ベネズエラのハードロックカフェに展示されています。
Red Hot Chili Peppers – Under The Bridge [Official Music Video]
ドラッグから見事に立ち直ってレッチリに復帰する時、フルシアンテ氏はボロボロの赤いジャガー(1962年製)一本しか持っていませんでした。そこで再びギターを買い足していきますが、やはりヴィンテージが多数を占めています。録音ではSGやレスポールも使用していましたが、この時代のフルシアンテ氏ならば、ストラトキャスターとホワイトファルコンが象徴的です。
最初に手に入れた1962年のストラトキャスター(3TS)が、レッチリで再スタートを切るフルシアンテ氏のトレードマークとなりました。第二のストラトは1955年製のタバコサンバーストで、後にも先にも唯一のメイプル指板機です。第三のストラトは1961年製のフェスタレッドですが、これは’62ストラトの代打としてライブでのみ使用され、録音での起用はありません。
これらは基本的にオリジナルの状態で使用されていたようです。ところがオリジナルだと思われていた’55ストラトのピックアップが、手に入れた時点でセイモア・ダンカンの「SSL-1」に交換されていたことが判明し、ギターテックらを驚かせました。「SSL-1はオリジナルのフェンダー・ピックアップと区別がつかないほど良くできている」と高く評価され、やがて’62ストラトにも搭載されました。
フルシアンテ氏はギターからインスピレーションを受けるタイプとのことで、ソロ作ではレッチリ時代以上にテレキャスターが使われているようです。
Red Hot Chili Peppers – Can’t Stop (Offical Music Video)
世にもかっこいい「シングルノート・カッティング」のリフを中心に発展していく名曲中の名曲。動画で使用しているシルバーのストラト(1999年、カスタムショップ製)とフェンダー・トルネードは撮影のためにレンタルされたもので、録音ではテレキャスター・カスタムがメインで使用されました。
アルバム「カリフォルニケイション」で起用されて話題になったギターが、グレッチ「ホワイトファルコン」です。フルシアンテ氏はこのギターに対し.012~の弦を張り、低く構えてガシガシ演奏しました。
ライブでは広大なエフェクターボードと2台のマーシャルアンプを使用するフルシアンテ氏でしたが、ホワイトファルコンのためにはまた別のアンプを用意していました。ホワイトファルコンから、BOSS「DS-1(設定は控え目)」、フェンダー「デュアルショウマン」ギターアンプ、マーシャルのキャビネット2台、というシンプルな組み合わせです。
Red Hot Chili Peppers – Californication [Official Music Video]
音楽へのさらなる探究のためレッチリを円満に離脱した現在のフルシアンテ氏は、ストラトキャスターを使わなくなりました。ソロになったフルシアンテ氏は、HH配列機を基本に、これまでまったくイメージのなかったギターをメインに使用しています。
2011年ころからのメインギターは、ヤマハの「SG2000(紫色)」です。フルシアンテ氏が魅力を感じた何人かのギタリストが使用していたことが入手のきっかけですが、日本製ギターの特徴である「どのポジションでも均一な鳴りが得られる」というところに頼りがいを感じているようです。
フルシアンテ氏が使用するアンプやエフェクターについては、特にレッチリ在籍時に使用したものに関心が集まっており、探すといろいろな情報が得られます。時代とともにどんどん大型化していったエフェクターボードですが、18歳でバンドに加入した時点からソロになった現在に至るまで一貫して
この3つが一軍起用されてきたところが大きな特徴です(BOSSもIbanezも日本のブランドであるところが、大変誇らしいですね)。
現在でも普通に手に入れることのできる、超スタンダードかつお求めやすい価格のディストーションペダル。フルシアンテ氏はこれを主にソロ用に使用、音量はギュッと絞り、「TONE」と「DIST」はフルアップ、ターボモードは「II」に設定していることが多いようです。「設定を上げすぎると音がこもりがちになる」と言われるDS-2ですが、フルシアンテ氏は
という組み合わせにより、しっかり抜けてくる、太いディストーションサウンドを作っています。
BOSS DS-2 – Supernice!エフェクター
知る人ぞ知るアイバニーズの名機。フルシアンテ氏ご本人は旧モデルを使用しているようですが、現在では同じモデル名で復刻されていますから、ふつうに手に入れることができます。ご本人は「他のワウもたくさん試したものの、このWH10V2に匹敵するものはなかった」とコメントするほど高く評価しています。
Red Hot Chili Peppers – By The Way [Official Music Video]
耳が慣れていなければ「ワウがかかっている」と判別できないかもしれない、ひじょうに自然な係加減のワウです。フルシアンテ氏はこのワウに対し、ペダルの踏み加減で常においしいところがちゃんと出ているところを特に高く評価しています。
Ibanez WH10V2 – Supernice!エフェクター
ローランドのギターアンプ「JC-120」の回路をそのままペダル化した、という世界初のコーラスエフェクター。音が太くなるプリアンプとしても有効で、今なおヴィンテージエフェクターの草分けとして世界的に存在感を発揮し続けています。
フルシアンテ氏はこれを「ステレオ」で使用、ギターの音をこのCE-1から二手に分け、二台のマーシャルアンプに送っています。JC-120は二つのスピーカーを使うことによって美しいコーラスサウンドを得る仕組みですが、CE-1から二台のアンプに音を送ることで、これと同じような自然で美しいコーラスサウンドが得られるというわけです。
BOSS CE-1 – Supernice!エフェクター
BOSS「CE-1」で二手に分けられたギターサウンドは、二台のマーシャルアンプに送られます。フルシアンテ氏の背後には二台の三段積みマーシャルアンプがそびえ立つわけで、なかなかの迫力です。ホワイトファルコンを使用するときには、さらにアンプが追加されます。
ライブでは
の二台、レコーディングではシルバー・ジュビリーとマーシャル「スーパーベース」の二台が使われます。スーパーベースはその名の通りベース用アンプですが、エフェクターとの組み合わせでとてもイイ具合の音が得られる、という裏技が知られています。
「メジャー200」は、どんどん大音量化していくロックミュージックに対応すべく1967年に開発された、大音量対応のギターアンプです。70年代には多くのミュージシャンが愛用した「伝説のアンプ」と呼んでもよい名機で、現在でもヴィンテージ市場で散見できます。
「シルバー・ジュビリー」は、1987年、マーシャル社設立25周年とジム・マーシャルの音楽キャリア50周年を記念して限定発売されたギターアンプです。100Wと50Wで出力を切り替えることのできる、当時としては画期的なアンプでした。現代では回路の改善などアレンジを受けた形で復刻されています。
「マザーズ・ミルク」から「バイ・ザ・ウェイ」までのベストアルバム。レッチリにおけるフルシアンテ氏の業績をしっかり味わうことができる。「レッチリは曲が多くて、何から聞けばいいか迷う」という人は、まずはここから。
2004年リリース作品
CALIFORNICATION以降(アンソニー不在)のレッチリのようなアルバム。メロディがいい、ギターがいい、オルガンもコーラスもいい。
2004年リリース作品
レコーディングのスピード感を重視し、例え演奏に細かなミスがあったとして意識的に1/2テイクで録り終え、その場でミックスをした。1971年に録音されたかのような機材を用いて制作されている。
2004年リリース作品
プロデューサーはFugazi(フガジ)の総帥Ian Mackaye(イアン・マッケイ)、ドラムスはFugazi(フガジ)のサポートのほかいくつかのバンドでプレイし、ジョンも大ファンだというJerry Busher(ジェリー・ブッシャー)が担当。更にジョン自身の機材を一切使わず、Fugazi(フガジ)のメンバーの機材を借りて演奏された。レコーディング&ミックスを含め、わずか二日間で行われた。
2004年リリース作品
最もギミックの少ないロック・アルバムでジョン自身が最も気に入っているという作品。
2009年リリース作品
ジャンルレス、ボーダーレスな魅力に満ち満ちたジョンの作曲能力と演奏は神がかっていて、ときに畏れ多くすらある。これまで発表してきたレッチリのどのアルバムとも、またどのソロアルバムとも似通った雰囲気を持たない神秘的な作風は、ジョンの孤高ぶりを表すのにこれ以上ないほど最適だ。
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