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「ヘヴィな人生が、ヘヴィなサウンドを生むんだ。」by トニー・アイオミ
トニー・アイオミ氏は1948年に英国に生まれた左利きのギタリストで、ヘヴィメタルバンド「ブラックサバス(Black Sabbath)」で永らく活動を続けています。デビュー当時からギブソンSGをメインに愛用し、現在では黒を基調としたシックなファッション、首に下げた十字架のペンダントもトレードマークとなっています。
テクニカルで華やかなプレイには走らず、派手な曲であってもブルース由来の渋いプレイを身上としており、しばしば「いぶし銀(華やかさはないが、確かな実力がある)」と表現されます。またダウンチューニングとパワーコードを駆使したリフプレイが名高く、「リフマスター」と称されます。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において、2003年は第86位、2011年の改訂版では第25位に位置づけられています。また2013年には、音楽史におけるヘヴィメタル創始者としての功績が称えられ、英国コベントリー大学から名誉博士号を授与されています。
Black Sabbath “Iron Man”
プロレスラーの入場曲にもなった名曲。このPVでは3ピックアップのSGカスタムを使用しています。パワーコードの平行移動を利用したメロディアスなリフが印象的ですね。
トニー氏は17歳の頃、バイト先のプレス機械で右手の中指と薬指の先を切断してしまいました。第一関節から持っていかれてしまっては、ギターを諦めなければならないところでした。しかし上司からジャンゴ・ラインハルト氏のことを知り、奮起します。
Django Reinhardt – The Best Of Django Reinhardt
ジャンゴ・ラインハルト氏(1910-1953)は「ジプシー・スウィングの創始者」、「欧州初の偉大なジャズミュージシャン」と評されるギタリストです。プロとして活動をしていながら、自宅の火事を消そうとして大やけどを負い、左手の小指と薬指が不自由になり、右脚が麻痺します。しかし3年後には独自のスタイルを確立して活動を再開、第二次大戦中も休まず、突然病死するまで活動を続けていました。
自ら洗剤の容器を加工して義指を製作し、軽い力で押弦できるようにチューニングを下げ、指二本で押さえることができるパワーコード主体のプレイへ移行していきます(0.08〜の「極細」ゲージ弦の開発にも携わっています)。トニー氏の奏でる低くヘヴィなサウンドは、後に続くメタルギタリストたちの手本となっています。また日々進化していく音楽シーンにおいて、メタルのバッキングは今なおパワーコードが基本であることは、トニー氏の功績が如何に甚大であったかを如実に物語っています。
エドワード・ヴァン・ヘイレン氏はトニー氏の義指について、「音楽のためならどんなこともやる、ミュージシャンの本質」だと評しています。
トニー氏はメンバー変更の激しいブラックサバスにおいて、メジャーデビュー以来唯一脱退することがなかった、バンドの大黒柱のような存在です。ソロ作もありますが、トニー・アイオミ氏の音楽は常にブラックサバスでした。ブラックサバスは悪魔や暴力などダークなイメージを持った、スラッシュメタルやブラックメタル、ドゥームメタルなどの先駆者であり、またハードコアバンド「ブラックフラッグ(黒旗は無政府主義の象徴)」、「ニルヴァーナ」を代表とするグランジなどメタルとは異なるジャンルの源流にもなっています。
オジー・オズボーン氏による張り紙「ボーカル以外全パート募集」で集まったメンバーで活動を開始したブラックサバスは、1970年2月13日金曜日に1stアルバム「Black Sabbath(黒い安息日)」を発売します。バンド名は同名のホラー映画から作曲した「Black Sabbath」に由来し、「恐怖」をモチーフにするというコンセプトを打ち出しました。
レコーディング時間が2日間しかない強行スケジュールの中、ストラトが故障してSGスペシャルに持ち替えたことが、現在までSGを愛用するきっかけになりました。続いてリリースした2ndアルバム「Paranoid(パラノイド)」がヒットし、世界的な注目を集めます。
Black Sabbath – “Black Sabbath”
ホラー映画をヒントに、歌詞も曲も不気味な印象となっています。リズムではなくメロディ的なギターのバッキングというプレイスタイルは、この時点で確立されていました。
バンド結成時のボーカリスト、オジー・オズボーン氏は、酒とドラッグで荒れていたことから1979年に解雇されます。オジー氏はアメリカでソロ活動を大成功させますが、ブラックサバスはボーカリストにロニー・ジェイムス・ディオ氏、イアン・ギラン氏、グレン・ヒューズ氏など英国が誇るロックシンガーを迎えながら、セールスはなかなか伸びませんでした。
デビューアルバムから英米でゴールドディスクなどの結果を出し続けていた連続記録は1981年の「Mob Rules」までで止まり、そこから永らくセールスに苦しむ時期が続きました。こうした状況もあり「やはりサバスはオジーでなきゃ」といったオジー待望論が高まった2013年、遂にオリジナルメンバーによるアルバム「13」をリリース、デビュー43年目で初めて全英アルバムチャート1位、米国ビルボードチャート1位を記録します。
参考:Black Sabbath discography(Wikipedia。英語)
ブラックサバス結成メンバーでの再結成、アルバム制作が決まった矢先の2012年、リンパ腫が発覚します。トニー氏は6週間おきの血液検査、定期的な精密検査を余儀なくされますが「病に支配されたくない」という一心で、治療を続けながらもレコーディングやツアーをこなしました。闘病と音楽活動の両立は困難だったといいますが、先に奥さんの癌治療を経験していたオジー・オズボーン氏がその状況をよく理解し、心の支えとなったのだそうです。
Good days.
Photo: @RossHalfin pic.twitter.com/YQrKkmx5uJ
— Tony Iommi (@tonyiommi) February 24, 2017
トニー・アイオミ氏は「いぶし銀」なギタリストであり、仲間のオジー・オズボーン氏がキャラクター全開で勝負するスタイルとは真逆です。この全く違う二人がステージで対等に渡り合う姿が、初期ブラックサバスの様式美でした。ダウンチューニングと極細ゲージの弦によりフィンガリングのハンデはほぼ克服したと言って良く、ギターソロもバッチリ決めるし、義指をはめた薬指でのチョーキングに及ぶのも問題がないようです。
Black Sabbath – “Electric Funeral” Live 1999
「リフマスター」と称されるトニー氏のリフは、どちらかと言うとビートをザクザクと打ち出していくのではなく、比較的長い音を利用したメロディアスなプレイが中心です。エッジの利いたヘヴィなトーンも手伝い「粘っこい」と表現されます。時折使用される「減5度」の音程は、カトリックでは「悪魔の音程」と言われて禁止されていました。
バンドでの作曲においてもトニー氏のリフが重要な役割を担っており、ギターのリフに他のパートを載せていくやり方のようです。ライブではステージングをオジー氏に一任し、自らはギターのプレイに集中しています。
トニー氏の「ドロドロとした」と言われるギターサウンドは「ヘヴィロックの先駆け」であり、HM/HRというジャンルでダウンチューニングを主体にする元祖と評されます。ブラックサバスのデビュー以来、トニー氏は一貫してSGタイプを愛用していますが、ギブソン製に限らず製作家に依頼したものを使うこともありました。
トニー氏のSGは、
といったポイントがわかりやすい特徴で、ギブソンでシグネイチャーモデルのピックアップを作っています。
また押弦のサポートと義指にかかるダメージを緩和するため、0.08〜0.32という極細ゲージを使用しながらダウンチューニングに及びます。この状態でマトモな音程をしっかり出すのは、超絶技巧とも言っていいほどの難易度です。
ダウンチューニングならこの弦を使え!ドロッフプチューニング対応のギター弦特集
ヘヴィメタルの歴史を築いてきたトニー氏のSGをイメージしたシグネイチャーモデルが、ギブソン傘下のエピフォンから全世界2,000本限定生産されました。スモールピックガードのSGを基調としながら、
といったアレンジを施した特別仕様になっています。ブラックサバス仕様というアプローチからコイルタップはついていませんが、ピックアップは4芯なので後からタップできるようにもできます。ただしSGとしてリリースされているためストラップピンはノーマルの位置に付けられており、本人仕様にするなら移設する必要があります。またトニー・アイオミ氏直筆のサイン入り認定書が同梱されており、ファン必携のアイテムとなっています。
Black Sabbath “War Pigs” Live at Ozzfest 2005
ご本人仕様は本家ギブソン製ですが、シグネイチャーハムバッカーが搭載されていることが視認できますね。
アルニコⅡとセラミックを組み合わせて作ったハイパワーなハムバッカーで、ポールピースがカバーで覆われているのが外観上の特徴です。トニー氏の求めるサウンドをしっかり再現でき、4芯になっているのでシリアル/パラレルやコイルタップといった配線のバリエーションも取り入れることができるようになっています。
トニー・アイオミ氏のサウンドメイキングはいつものSGと、
の組み合わせで作られます。トニー氏は1st.アルバム制作時ですでにレイニーを愛用していましたが、現在ではトニー・アイオミシグネイチャーモデルがリリースされています。
赤くライトアップされる内部、フロントパネルに並ぶ十字架を外観上の特徴とする、「最強のヘヴィメタルアンプ」を標榜するギターアンプです。便宜上リズム/リードの2チャンネルという構成になっていますが、実際には全く同じチャンネルが二つ並んでいます。
1965年に発表された「レンジマスター」は、トレブルブースターというカテゴリーでありながら、倍音を中心に持ち上げる独特のサウンドを持っており、ブルースブレイカーズ時代のエリック・クラプトン氏、ロリー・ギャラガー氏、ブライアン・メイ氏、マーク・ボラン氏ら多くのギタリストが愛用しました。シンプルな回路なので、多くのユーザーが自分のアンプとのマッチングを良くするために改造していたといいます。現在ではJMI社より、外箱まで完全に再現したと言うレンジマスターの復刻版がリリースされています。
「キャッスルダイン・エレクトロニクス」というブランドより、初期ブラックサバスのサウンドを再現するためのエフェクターがリリースされています。内部の歪みは2段階になっており、
エフェクタ単体でレイニーのアンプにレンジマスターを突っ込んだセッティングを再現しています。
→「The Wizard」のサンプル動画はコチラ(リンク先:https://youtu.be/uOQZhsECVIc)
デビュー作「Black Sabbath(黒い安息日)」からわずか7ヶ月でリリースされ、全英1位を記録した大ヒットアルバム。この記事で紹介している動画「War Pigs」、「Iron Man」、「Electric Funeral」は全てこのアルバムです。
オジー氏が在籍した「初期」はこの後に続く「Master of reality(1971年)」、「Black Sabbath Vol.4(1972年)」、「Sabbath Bloody Sabbath(血まみれの安息日。1973年)」まで、毎年リリースするアルバムが全て「全米プラチナディスク」となっている伝説的な快進撃となります。しかし商業的な成功で手に入れたカネで酒やドラッグに手を出してしまっておかしくなっていくのが、この時代のミュージシャンの普通の姿でした。
ボーカリストにロニー・ジェイムス・ディオ氏を招き、メロディアス&ドラマティックな路線を指向した作品。ブラックサバスの身上である重厚さに優雅さと疾走感が追加された、「メロディック・スピードメタル」の名盤として聴ける一枚。アルコール依存でどんどんおかしくなっていくオジー氏を解雇した「中期」最初のアルバムであり、「サボタージュ(1975年)」以来パっとしない評価をぐっと持ち直した一枚でもありました。
次回作「Mob Rules(悪魔の掟。1981年)」を最後にロニー氏が脱退。ブラックサバスは長い低迷期に入ります。
ドラマーのビル・ワールド氏を欠くも、黄金時代と謳われた結成メンバーによるスタジオアルバム。ブラックサバスとしては19枚目になりますが、メンバーの年齢や健康状態からこれが最後のアルバムではないかと言われています。ベーシストギーザー・バトラー氏は約20年ぶり、オジー・オズボーン氏はほぼ30年ぶりというブラックサバスでしたが、黄金時代とかわらない「サバス節」が発揮され、新作なのに懐かしいサウンドになっています。世界中のファンが初期メンバーの復活を待ち望んでいたことは、ブラックサバス初となる全米全英1位というセールスからも分かります。
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