ロックギター名盤アルバム:JIMI HENDRIX「Band of Gypsys」

[記事公開日]2020/9/9 [最終更新日]2020/9/9
[ライター]小林健悟 [編集者]神崎聡

JIMI HENDRIX「Band of Gypsys」

「バンド・オブ・ジプシーズ(Band of Gypsys)」は、故ジミ・ヘンドリクス氏が生前に発表したアルバム4枚のうち、最後の作品です。世界中の耳目を集めた自身のバンド「ザ・ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」の解散から半年、新しいバンドで新しい路線を模索していく、そんなヘンドリクス氏の姿が確認できます。

ヘンドリクス氏の鬼気迫る演奏には安定感すら感じさせますが、これまでのブルース/ロック路線からソウル/ファンク路線へと移ったバンドサウンドに対しては、否定的な声も挙がりました。しかし反対に、むしろこういう音楽を欲していたのだ、これが最高の作品だという意見もあり、賛否の分かれた作品です。今回は、このアルバム「バンド・オブ・ジプシーズ」に注目していきましょう。

リリースまでの経緯

「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」の成功

米軍を除隊したのち、バックバンドの演奏などで頭角を現してきたヘンドリクス氏は1966年、大物バンド「アニマルズ」のベーシスト、チャス・チャンドラー氏の勧めで、デビューすべくイギリスへ渡ります。オーディションでノエル・レディング氏(ベース)、ミッチ・ミッチェル氏(ドラムス)を迎え、トリオバンド「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(The Jimi Hendrix Experience)」を結成、デビューシングル「Hey Joe / Stone Free」は全英4位のヒットを記録します。

ファズでギャンギャンに歪んだ、吠えるようなギターサウンドはこれまで例がありませんでした。また圧倒的な即興演奏は、一般の音楽ファンはもちろんプロミュージシャンらにも大きな衝撃でした。事実、エリック・クラプトン氏は「誰もジミーのようにギターを弾くことはできない」と、またジェフ・ベック氏は「自身の廃業を考えた」と語っています。ヘンドリクス氏のステージには長蛇の列ができ、連日ビートルズやローリングストーンズらの面々が観覧したと伝えられます。

エクスペリエンス解散→バンド・オブ・ジプシーズ結成

「ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」は一世を風靡し、3枚のアルバムをリリースしました。しかしバンド成功の裏で、過密スケジュールや精神的プレッシャーが、バンドやそのスタッフを追い込んでいました。結局1969年6月、ベーシストのノエル・レディング氏がバンドを脱退し、エクスペリエンスは解散となります。

ヘンドリクス氏は残留したドラマー、ミッチ・ミッチェル氏に軍隊時代からの友人ベーシスト、ビリー・コックス氏を加え、「ジプシー・サンズ&レインボウズ」を結成します。このトリオ編成にパーカションやサイドギターを加えた大編成のバンドで、ウッドストック・フェスティバル(1969年8月)の大トリを務めます。

しかし、大所帯のバンドは持続できませんでした。そこで同年10月、ビリー・コックス氏(ベース)、バディ・マイルス氏(ドラムス)を迎えたトリオ「バンド・オブ・ジプシーズ」が結成されます。マイルス氏はヘンドリクス氏としばしばジャムセッションする間柄で、アルバム「エレクトリック・レディランド」の録音にも参加していました。

ところが、バンドは超短命だった

「バンド・オブ・ジプシーズ」のデビュー公演は、1969年の大晦日に2ステージ、1970年の元旦に2ステージ、ニューヨーク市マンハッタンのコンサート会場「フィルモア・イースト」にて開催されました。合計4ステージの演目のうち、元旦に演奏された新曲を6曲収録したのが、ライブアルバム「バンド・オブ・ジプシーズ」です。

しかしいろいろあって、同年3月にリリースされたときには、バンドはすでに解散していました。その後もヘンドリクス氏は自身の録音スタジオ「エレクトリック・レディ・スタジオ」の建設、レコーディングやヨーロッパツアーなど精力的に活動しました。レコーディングはしたものの、新しいアルバムをリリースする前にヘンドリクス氏は他界してしまいます。

どんなアルバムだったのか

メンバー変更による、大幅な路線変更

アルバムでもバンドでも、「バンド・オブ・ジプシーズ」はそれ以前の「エクスペリエンス」からどのように変化したのか、ここが多く語られます。最も顕著なのは、「メンバー構成によるジャンルの違い」です。

この時代には、「演奏者の国籍や人種が、その人の音楽性を作っている」という考え方が一般的でした。ジャズ、ブルース、ソウル、ファンクなどはアフリカ系の人が得意としていたし、ロック、フォーク、カントリーミュージックなどはヨーロッパ系の人が得意だと考えられていました。同じブルースを演奏するにしても、黒人のノリ、白人のノリ、という言葉がよく使われました。

「エクスペリエンス」のリズム体(ドラムとベース)は、ヨーロッパ系イギリス人で構成されていました。楽曲には「歌もの」としての分かりやすい展開があり、グイグイと前へ引っ張っていくような勢いのあるグルーヴ感を特徴としていました。そのサウンドはブルース/ロックの方向性からハードロックの誕生を導いたと言われています。


The Jimi Hendrix Experience – Purple Haze (Live at the Atlanta Pop Festival)

いっぽう「バンド・オブ・ジプシーズ」のリズム体は、二人ともアフリカ系アメリカ人です。どっしりと落ち着いた堅実なグルーヴが、じわじわと楽曲を盛り上げます。総じてソウル/ファンクのテイストが強く打ち出され、ファンクロックという新しいジャンルが作られました。短いモチーフを執拗にリフレインしながら展開していく演目が多く、二人の歌い手がコール&レスポンスを披露する例が見られました。


Message to Love (Live at the Fillmore East, NY – 12/31/69 – 2nd Set – Audio)

メンバーに触発される

これまですべて自分の書いた楽曲のみでアルバムを作ってきたヘンドリクス氏でしたが、バンド・オブ・ジプシーズでは、ドラマーのバディ・マイルス氏の作った曲が2曲採用されています。マイルス氏はボーカルにも積極的で、ヘンドリクス氏の掛け合いや歌唱によるアドリブ(スキャット)を披露、3曲目「Changes」ではメインボーカルも務めています。

メンバーの音楽性は、ヘンドリクス氏のソングライティングにも影響したと考えられています。タイトルを見るだけでも「Power to Love」、「Message to Love」、「We Gotta Live Together」というように、普遍的な愛と相互理解への願いといった、人道的なテーマが多く扱われています。

こうしたことから、バンド・オブ・ジプシーズでは「メンバー同士の相互作用」というバンドならではの結果をしっかり出すことができたのだと言えるでしょう。しかし反対に、メンバーが対等の立場で意見を主張することから、ヘンドリクス氏とマイルス氏の間でしばしば意見の衝突が見られたようです。

暴れるギターと堅実なリズム体の対比が聞きどころ

ヘンドリクス氏の演奏はまさに鬼神の様相で、この二日間のライブ演奏が「ヘンドリクス氏の生涯最高のライブパフォーマンス」だといわれます。ヘンドリクス氏の演奏はアドリブのウェイトが大きく、時に繊細で時に粗暴に、またユニヴァイヴ(Uni-Vibe)、オクタヴィア(Octavia)、ファズフェイス(Fuzz Face)、そしてワウペダルといったデバイスの力も借りて、さまざまな歌い方を披露します。

ヘンドリクス氏の縦横無尽な演奏に対し、アドリブ的な演奏を抑えて必要なことしかしない堅実なベース、歌いながらも全く揺らがないドラムスは一体となって、しっかりと安定したグルーヴで支えます。またマイルス氏のドラムはその安定度を保ちながら、ヘンドリクス氏のアドリブにしっかり呼応する「インタープレイ」を見せてくれます。

この「暴れるギターと堅実なリズム体との対比」が、このアルバムの聞きどころです。どっしりとしたリズム体がヘンドリクス氏の演奏を次の次元へと押し上げたと考えられ、「地面がきちんと整っているからこそ、ジミがどれほどの高みへ飛んでいるかが分かる」と表現されました。

収録曲

「Who Knows」

2小節分のリフを執拗なまでに繰り返すことで展開していくジャムセッション的な曲で、歌詞もアドリブだったと伝えられます。歌い出しからヘンドリクス氏とマイルス氏のボーカルの掛け合いが興り、中盤ではマイルス氏が長尺のスキャットでじわじわと盛り上げていきます。

「Machine Gun」

機銃掃射を模したと言われるスクラッチ音が印象的な楽曲。ヘンドリクス氏のギターは力強く、また奔放に吠えます。アルバムの2曲目にしてハイライトであり、ヘンドリクス氏の偉業の一つと言われる名演です。故マイルス・デイヴィス氏はこの演奏を聴き、「俺はこういう音楽がやりたかったんだ」と語ったと伝えられます。

「Changes」

シングルカットもされている楽曲ですが、作曲、歌唱ともにマイルス氏です。この演目でヘンドリクス氏は、バンドのいちギタリストに徹しているのです。いったんギリギリまで音量を落とし、じわじわと盛り上げていく手法は、ファンクの影響が大きく反映されています。

「Power Of Soul(Power to Love)」

出展によって曲名が異なるファンクナンバー。ジャムセッションで音楽を練り上げていくバンドにとっては、タイトルすらも流動的です。ボーカルが入る寸前には、変拍子に思えて実は4拍子のままだった、という大変工夫されたリフが挿入されます。

「Message To Love / 恋のメッセージ」

メンバーがコーラスで参加するなどで、ソウルやゴスペルに通じるサウンドを構築したナンバーです。その意味で、エクスペリエンスとは全く違うバンドの音が出ています。

「We Gotta Live Together」

何と、この曲ではベースのコックス氏がメインボーカルです。コーラスワークを取り入れたジャムセッションで盛り上げていきます。この曲ばかりはベースも随所で派手なフレーズを繰り出します。


以上、ジミ・ヘンドリクス氏のアルバム「バンド・オブ・ジプシーズ」をチェックしていきました。ヘンドリクス氏による最高のライブパフォーマンスが楽しめる作品ですが、現在では世にあふれるライブ版全体の中でも随一のアルバムだと高く評価されています。本番のステージでジャムセッションをしながら楽曲を展開させていくというスタイルは、完成された音楽をステージで再現する現代のポップスとは大きく異なっていますね。

2019年末には、大晦日と元旦の両日分、合計43トラックをCD5枚に収めた「バンド・オブ・ジプシーズ:コンプリート・フィルモア・イースト ジミ・ヘンドリックス」が発売されました。死後半世紀を経てなお輝きを失わないヘンドリクス氏のサウンドは、ギタリストならば必聴の価値があります。

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