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1946年11月20日 − 1971年10月29日
デュアン・オールマンはアメリカのセッションミュージシャンでありサザン・ロックのオールマン・ブラザーズ・バンドのリードギタリストです。
その名演の数々はオールマン・ブラザーズ・バンドの作品で聴くことができますが、デュアンのセッション・マンとしての演奏も必聴です。オールマン・ブラザーズ・バンドの活動に加え、定評のあるセッションミュージシャンとしての生活を送っており、キング・カーティスやアレサ・フランクリンなどの作品に参加しました。またエリック・クラプトンの大ヒット曲「いとしのレイラ」にも参加、プレイヤーとして重要な役目を果たしています。
いまやロック・スタンダードとなったデレク&ザ・ドミノスの「レイラ」やボズ・スキャッグスの「ローン・ミー・ア・ダイム」、ウィルソン・ピケットの「ヘイ・ジュード」といった作品では、ギターがなかったら曲が成立しないほど、彼の存在は重きをなしています。脇役のはずが、主役になってしまう彼の凄みが感じられるでしょう。
彼のプレイの代名詞であるスライドギターによる即興的な演奏は、多くのミュージシャンに多大な影響を与えています。
The Allman Brothers Band – Whipping Post – 9/23/1970 – Fillmore East (Official)
1946年11月20日 生 米テネシー州ナッシュビル
12才の頃、兄のグレッグからギターを教わり熱中するようになります。アワー・グラスというバンドを結成し、ミュージック・ビジネスの中心地、ロスに進出しました。彼らはそこでリバティー・レコードと契約しレコード・デビューを飾りました。しかし、彼らは「南部出身のアイドル・バンド」として売り出され思うような活動をさせてもらえませんでした。結局、彼らは結果を残すことができないままロサンジェルスで解散します。
タジ・マハールの演奏やウィリー・マクテル(willie mactell)のステイツボロ・ブルース(statesboro blues)、ジェシ・エド・デイヴィス(jesse ed davis)を聞いて、彼はエレクトリック・スライドギターをレパートリーに加えます。スライドギターはのちにオールマン・ブラザーズ・バンドのトレードマークになりましたた。彼は当時絶頂期にあったサザン・ソウルのフィーリングを身体で覚えて行きました。
71年にオートバイ事故で死亡。享年24才。
The Allman Brothers Band – Dreams – 9/23/1970 – Fillmore East (Official)
The Allman Brothers Bandのオリジナル・メンバーは以下
デュアンは数々のセッションを経て当時絶頂期にあったサザン・ソウルのフィーリングを身体で覚えて行きました。南部からロックの新しい波を発信する準備が整い、1969年彼らの記念すべきデビュー・アルバム「オールマン・ブラザース・バンド」が発売されました。それは、南部の田舎町から全米の音楽業界に向けて発せられた初めての挑戦状でもありました。それまでのロックとはひと味違う南部独特の香りに満ちソウルフルなフィーリングにあふれた新しいロック・スタイル、「サザンロック」が生まれたのです。
デュアンは交通事故によって24歳という若さで早すぎる死をむかえましたが、オールマンズはその悲しみを乗り越えデュアンの魂と共に名盤を残していきます。彼らの売りは、けっしてオールマン兄弟だけではありませんでした。デュアンとともに絶妙のツイン・リード・ギターを聞かせてくれるディッキー・ベッツやその後のサザン・ロックのお家芸ともなったブッチ・トラックスとジェイミー・ジョンソンによるツイン・ドラムなど、メンバー全員が主役級の連中でした。そして、これら全員の実力が発揮されるライブこそ、彼らにとって最高の実力を見せることのできる場であり、それを証明してみせたのが、サンフランシスコのフィルモア・イーストでのライブを録音した「フィルモア・イースト・ライブ」でした。
デュアンは酒ビンの首の部分を左手の薬指にはめ、フレットの上を滑らせ、人声のヴィブラートのような音を出すブルースの伝統的奏法、スライド・ギターの名手でした。大ナタで薪を割ったごとくザックリとした感触の引き摺るような音色のスライド・プレイは多くの人々に衝撃を与えました。
彼がスライドを弾くきっかけとなったのはブルースではなく、ジェフ・べックやジェシ・エド・デイヴィスなどのロック・アーティストを聴いてからだといいます。伝統に、ロックならではのフル・ヴォリュームなエレクトリック感覚を加えた豪快な奏法で、ミュージック・シーンに革命を起こしました。
赤のギブソンSGやギブソン・レスポールを好んで使用していました。
69年発表、オールマン・ブラザーズ・バンドのデビュー・アルバム。70年代を前に、サザン・ロックの幕開けを告げる本作。
基本的にはブルースですが、ツインドラムにスライドギター等、南部特有の泥臭く豪快なサウンドは唯一無二。
1969年リリース作品
スタジオ最高傑作と評価も高い2nd。「エリザベス・リードの追憶」は、まさにオールマンズの幅広い音楽性を示す名曲、レイドバックしたアメリカンロック。
1970年リリース作品
フィルモアイーストでのライブは午前4時半にいったん演奏が終わりましたが観客がアンコールを求め続け、バンドはその願いを聞き入れました。 「彼らは何を演奏すればいいのか分からなかった」ので「それでジャム演奏」を始めます。それが23分に及ぶ最後の曲です。 朝6時に「もっと、もっと」と叫び続ける客。。。そんな、とどまる事のない湧き上がるエネルギー感を収めたロック史上最高の名盤です。
1971年リリース作品
目玉はthe final Fillomre concert。 At Fillmore EastあるいはThe Fillmore Concertsの曲と比べて音,アレンジとも全く異なり非常にワイルドです。 デュアン, ディッキー、その他のメンバーも完全に神がかった演奏をしています。
1972年リリース作品
デュアンの死後に作られたカントリー調の名盤『Brothers And Sisters』ですが、ディッキー・ベッツや新しいピアニスト、チャック・リーウ゛ェルの影響を強く受けていることが、はっきり見て取れます。泥臭いブルースは影を潜め、クラシックな器楽曲、「ジェシカ」、フィナーレを飾るアコースティックで、ドブロでの彼の活動を発表したような「ポニーボーイ」のように、彼らは古めかしい音作りに貢献しました。
1973年リリース作品
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