ピート・タウンゼンド(Pete Townshend)

[記事公開日]2014/4/16 [最終更新日]2021/10/23
[編集者]神崎聡

ピート・タウンゼンド氏は、ロックバンド「ザ・フー(The Who)」の中心人物として永らく活動を続け、今なお活躍しているギタリスト/ソングライターです。ザ・フーは、ビートルズ、ローリングストーンズと並ぶ「イギリスの3大ロックバンド」の一つと言われ、1990年にロックの殿堂入りを果たしています。タウンゼン「ト」と呼ばれることがありますが、英語の発音に最も近い読み方はタウンゼン「ド」です。
183センチの長身でギターを構える姿は、「ギターが小さく見える」ことの格好良さの典型として知られています。

Biography

少年期〜メジャーデビュー

タウンゼンド氏がギターに興味を持ったのは12歳の頃で、「ロック・アンド・ロール/狂熱のジャズ」という映画がきっかけでした。ギターを手に入れたものの弾きこなすのには苦労し、弦の少ないバンジョーから練習したといいます。その後学校で知り合ったベーシスト(ジョン・エントウィッスル)と共に2つ上の先輩(ロジャー・ダルトリー:Vo)のバンドに加入。ドラマー(キース・ムーン)加入後、1964年にバンドはメジャーデビューします。タウンゼンド氏はこのとき19歳でした。

ザ・フーとしての活躍


The Who – I Can’t Explain

MTR(=マルチトラックレコーダ)が、タウンゼンド氏がソングライターとして開花するきっかけでした。楽譜を書く代わりに大まかなデモ音源を制作し、メンバーに渡すことで、どんどん作曲を続けます。ザ・フーではほぼ全ての曲をタウンゼンド氏が作詞作曲し、「I Can’t Explain」「Anyway, Anyhow, Anywhere」「My Generation」など、リリースするシングルが次々とヒット。バンドは数年先までスケジュールが決まるほどの人気を博します。しかしヘッドホンの使用により耳へのダメージを溜め込んでしまい、難聴に悩まされることになります。

エリック・クラプトン氏と特に仲がよく、ジミ・ヘンドリックス氏が台頭してきたときに「ジミ・ヘンドリックスを見たか?俺たち失業するかも」と電話したというエピソードは有名ですが、それだけ脅威に思っていたと言うよりは、ジミという衝撃的なプレイヤーをクラプトンに合わせたかったようです。ちなみにその頃、誰もがジミヘンを称えるから、ジェフ・ベックは電話に出なくなったと言います。


The Who – I’m Free

音楽的な挑戦も旺盛で、1969年に発表した「Tommy」というアルバムでは一枚を通して壮大な物語になっており、またクラシックの楽曲技法をロックに取り入れ、新たに「ロックオペラ」というジャンルを確立します。このアルバムが契機となり、ザ・フーはヒット曲をリリースするためのバンドから、アルバムを聴かせるバンドへと転身していきます。

メンバーの死

1978年、ドラマーのキース・ムーン氏死去。代役を立てて公演予定を消化してから、1982年に一旦ザ・フーは解散します。2002年にはベーシストのジョン・エントウィッスル氏死去。正規メンバーは2名となりましたが、ザ・フーとしての活動は継続。タウンゼント氏自身はラジオドラマを制作したり小説や自伝を著したりするなど新しい挑戦も続けています。

ピート・タウンゼンドの使用機材

ギター

現在タウンゼンド氏は、エレキではエリック・クラプトンモデルのフェンダーストラト、アコースティックではギブソンのJ-200をメインに使用していますが、これまでのメインのエレキギターは時代とともに変遷しています。

総じて現代「コードプレイに適する」と考えられているギターをセレクトしていることが分かります。ちなみにSGスペシャルをやめた理由は「酒を飲んで弾くと、たまにバラバラになっている」からなのだとか。レスポ−ルデラックスにはミニハムバッカーの間に普通サイズのハムバッカーを埋め込む改造も施しており、シグネイチャーモデルもリリースされました。

またコードプレイが主体となること、またあまりに激しく演奏することから、弦のゲージは0.11〜をセレクトしています。太いゲージは硬い分リードプレイに不利ですが、頼もしい音量とクッキリとした響きが得られ、またチューニングが安定します。

アンプ

アンプについては現在のメインがフェンダーだとはいえ、ザ・フー全盛期に愛用していたハイワットのイメージが濃厚です。ハイワットはクリーンサウンドを大音量でアウトプットすることに特化した設計で、ステージでコードを大音量で鳴らしたいタウンゼンド氏の意向にぴったりでした。楽曲の展開に合わせて演奏中でもアンプのツマミを回していたという逸話があり、アンプを完全に使いこなしていた事が分かります。

Hiwattのギターアンプ – Supernice!ギターアンプ

マーシャルを使用していた時期もあり、上段のスピーカが若干上を向いている「スタック」のスタイルはタウンゼンド氏の発案です。

演奏スタイル

全盛期のザ・フーにおける、全身を使った大きなアクション、ギターやアンプを破壊するなど攻撃的なステージングが有名です。右腕を大きく回しながらコードを弾く「ウィンドミル(=風車)奏法」はタウンゼンド氏が起源で、布袋寅泰氏がBOOWY時代に名曲「Bad feeling」の間奏で披露するなど、多くのフォロアーに継承されています。
本家の「ウィンドミル奏法」はこちら! – Youtube

ザ・フー全盛の60年代後期は、エリック・クラプトン率いるスーパーバンド「クリーム」、ヤードバーズではジェフ・ベック氏とジミー・ペイジ氏のツインギター、そしてジミ・ヘンドリックス氏の台頭と、ソロをバリバリ演奏するプレイヤーが多く輩出された時代です。そんな中、タウンゼンド氏は彼らと親交を深めながらもソングライターとして、また主にコード奏者としてギターを弾きました。ソロをとらない曲があるばかりか、ソロアルバムでありながら間奏をシンセサイザーに任せる楽曲もあり、あくまでも音楽をプレイする手段としてギターを選んでいた、音楽主体のギタリストだと言う事が分かります。

ソロアルバム「Empty Glass」よりヒット曲「Let My Love Open The Door」。達人の風格ある弾き語りですがポップで乗りやすく、ギター一本の伴奏が音楽として完成されています。

同じくソロアルバム「Empty Glass」よりヒット曲「Face The Face」。こちらはギターを構えてすらいません。タウンゼンド氏にとってギターとは音楽のツールであって、ギターあっての音楽ではないということでしょう。
ボーカリスト、タウンゼンド氏の雄姿はこちら!

お勧めアルバム

「My Generation/The Who」(マイ・ジェネレーション/ザ・フー)1965年

My Generation - The Who

カバー3曲を含むザ・フーのデビューアルバム。この時代はアルバムにカバー曲が挿入されるのが普通でした。6曲目のタイトル曲「My Generation」は全英チャート2位のヒットになり、また「年寄りになる前に死んでしまいたい」などの歌詞が労働者階級の不満を代弁していると見られ、時代を味方にしました。

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「Quadrophenia/The Tho」(四重人格/ザ・フー)1973年

Quadrophenia - The Tho

全曲タウンゼンド氏の作詞作曲による、ザ・フー6作目のアルバム。1965年の英国を舞台にし、モッズ少年ジミーの物語を描いたコンセプトアルバムになっています。1979年に公開された映画「さらば青春の光」の元になっており、モッズカルチャーの再評価に繋がりますが、このことからザ・フーはモッズを象徴するバンドと見られるようになります。
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「Empty Glass/Pete Townshend」(エンプティー・グラス/ピート・タウンゼンド)1980年

Empty Glass - Pete Townshend

新作のみを揃えたソロ作としては初のアルバムで、ソロ作の中では最高のセールスを記録しますが、死去したキース・ムーンの後任ケニー・ジョーンズが「いい曲をザ・フーではなくソロのほうへ持っていっている」と不満を吐露してザ・フー解散のきっかけにもなった問題作でもあります。それだけに佳曲揃いで、アイディアに富んだ美しい曲が収録されています。
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自伝「フー・アイ・アム」

フー・アイ・アム

ピート氏自らが語る成功と挫折の半生を語る464ページに及ぶ大作で、2014年に上梓。バンド内の軋轢や自身の葛藤、話題となった児童ポルノ事件について、1970年頃から帰依しているメハー・ババについてなどを赤裸々に綴っています。
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