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ギタリストおよび音楽プロデューサー、昨今はTVアニメ「呪術廻戦」や「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」など数々のヒット作を手がける劇伴作曲家でもある照井順政さんにインタビュー。二回にわたっての今回の企画、第一回は照井さんの青春期、自身が在籍するバンド「ハイスイノナサ」と「siraph」の話、音楽プロデュースを担当したアイドルグループ「sora tob sakana」の話、そして今後の展望について語っていただきました。
2022年、YouTubeの自チャンネル「myspeedyrecie」にNARASAKIをゲストで招き、COALTAR OF THE DEEPERSに関するインタビューを動画内で敢行した。2025年には同氏と特撮(バンド)のトークライブを高円寺AMP CAFEで開催、司会進行役を務める。
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──まずは、これまでに多くのインタビューを受けられている中で、あまり深掘りされていないパーソナルな部分のお話などを補足的にうかがっていきたいと思います。ちなみに、照井さんの中で大っぴらに自己開示したくないとか内面に切り込まれるのが苦手だとか、そういう意識というのはないですか?
照井順政: いや、全然ないですね。かなりあけすけで、なんでも喋っちゃうタイプだと思います。
──安心して色々と聞かせていただきたいと思います(笑)。最初に、ご出身はどちらでしょうか?また、どのような学生時代を過ごされましたか?
照井: 出身は北海道なんですが、小1になる前に神奈川に引っ越してきたので、向こうの記憶はあるかないかぐらいの感じですね。小学校の頃はスポーツとか好きで、結構活発で割と発言もするみたいな感じでした。中学校の時に自分の中で意図的にちょっとポジションを変えたみたいなところがあって、あまり喋らないようにしようと…なんでそう思ったんですかね(笑)。クラス内で中心となって喋るみたいなことは避け始めて。中学校からは大人しくしていたイメージがありますね。
──中学校の3年間、ハンドボール部のキャプテンだったというお話からすると意外な気がします。
照井: ハンドボールはとても好きでキャプテンでしたが、部長というのがまた別にいたんですよ。だから俺は暴走族で言うところの特攻隊長みたいなポジションですかね。
──神奈川ということでいえば、Instagramのストーリーズに最近、「母なる大地(宿河原)」と書いて久地の駅名標の写真を投稿されていましたよね。
照井: 北海道から神奈川に引っ越してきて長く住んでいたのが宿河原なんです。小1から専門学校に行く前…18歳ぐらいまでですね。
──宿河原からインスピレーションを受けた部分はあるのでしょうか?
照井: そこはすごくあると思いますね。俺のパーソナリティはかなり宿河原で…青春時代があそこだったんで。まあ宿河原って土地というよりも、その時の周りにいた友達とか。公立の中学校だったんで色んな人がいて。北海道から出てきた時の自分は結構お坊ちゃんというか、多分うちの親が丁寧に育ててくれて。優しい子育てというかね(笑)。で、自分は割とそのテンションで出てきた時に、神奈川の友達たちと出会ってすごい、生命力みたいな…なんか結構やんちゃな人たちもいたりとか。色んな人種と出会って、幅広い世界観が手に入ったというか。もし自分が生来持っている気質の人たちとずっとつるんでいたとしたら、自分の中の野性味な部分とかサバイバル感みたいな部分は多分あまり育まれなかったんじゃないかなっていうのがあって。
宿河原は自分にとっては都会の場所だったんで、ここで逞しく生きる人たちと友達になって、自分も生きる力が欲しいなと思ったことを覚えていますし、それが音楽に多分かなり影響していると思います。ちょっとやんちゃな子たちが行くような文化とかに結構どっぷり触れられたっていうのは大きかったなと。
──ハイスイノナサなどでご一緒されているベーシストおよびエンジニアの照井淳政さんも含めて3人兄弟ということですが、仲は良かったですか?影響は受けましたか?
照井: (仲は)良かったと思います。姉はイラストレーターなんですけど、姉が5歳上で兄が4歳上の年子で俺だけ離れていて、幼少期に触れた文化というのは姉と兄のお下がりというか、同年代の子たちよりはちょっと上の世代の文化に触れていたという意味では影響があったのかなと。
──ご自身に音楽の才能が備わっていると自覚されたのはいつ頃ですか?
照井: まず音楽の才能は特にないと今でも思っています。ただ、結構若い段階でギターがそこそこ弾けたんですよ。俺、小6からクラシックギターを始めているんですね。クラシックギターって嫌でも基礎的なことを…曲を弾くこと自体が色んな基礎をステップアップしていくみたいにならざるをえないから、その当時は割と基礎的な部分をちゃんとやっていて。
で、中学校ぐらいでみんなバンドを始めますよってなった時には俺はもう結構弾けるから、村勇者みたいな感じで、周りではうまいと言われていて。だからこのまま頑張ったら演奏家として取りあえずやってはいけるんじゃないのか、みたいに高校ぐらいの時は勘違いして思っていましたね。

──人となりを知りたいというところだと、照井さんが恋愛遍歴に関して言及されているのをほとんど見たことがなくて。初恋のエピソードとかお聞かせいただいても大丈夫ですか?
照井: 確かにあまりないですね、大丈夫ですよ。そうですね…まず俺、恋愛のプライオリティが多分人生の中で結構低めで。どうでもいいというほどではないけど、色々な文化に触れたり音楽をやったりとかのほうが全然大事だったんで、恋愛に関する感受性が薄いというか。だから当時は自分の中でも気づいていなかったんですけど、後に思うと多分初恋は中2の頃だったのかなと思います。
その時はなにも話しかけることもせず。でも同じクラスの子だったんですけど、「すごいやたらと目が合うな」みたいな感じだったんですよね。だから向こうももしかして意識していたのかもしれないんだけど、なにもなく。後に高2ぐらいの時に、その子の通っていた高校の文化祭に遊びに行って、その文化祭で告白されるんですけど。ドラマチックな展開で。それでちょっと付き合いました。
──そういう10代の頃の恋愛経験が、作詞する上で反映されていたりしますか?
照井: (反映)するのかなあ。するんでしょうね。あまり具体的にこのエピソードを持ってきましたとか、そういうのはないとは思うんですけど。まあ黒歴史がいっぱいありますからね(笑)。そういう後悔とか、もっとこうありたかったみたいなのは多分あるんじゃないですかね。
──ちなみに、好きな女性のタイプってありますか?
照井: 今となってはもうどんなタイプの人でもいいんですけど、見た目の話をすると、当時はスポーツを頑張っているような、元気なタイプの子が好きでしたね。そのちょっと後になってくると、生命力を感じるような…例えばダンス部とか、右脳で生きている系の人とかっていうのが高校ぐらいの時は好きだったかな。
その後は最早どんな方向でもよくて(笑)。タイプって属性というか方向性みたいなことだと思うんですけど、方向性は例えばネガティブであろうとポジティブであろうと、運動が好きであろうと勉強が好きであろうと、それはそれで好きになれるみたいな感じで。まあ話せれば…建設的な議論とかができればって感じですかね。話している時に相手の意見を全く聞かないとかだときついって感じですね。すごい普通ですけど。
──波長が合うかとか、そういうことでもないですか?
照井: うん、なんか違うぐらいのほうがむしろ良かったりもするし、合うなら合うでそれはそれでいいのかもしれないし。
──なるほど。作詞の話で繋げると、何年か前にXで「作詞・作曲・編曲・演奏を切り分けて考えた時、自分が一番マシなレベルにあるのは作詞だと思っている」ともポストされていたように、言葉には自負があるのかなという印象を持っていて。YouTubeで以前、「ファボ盤~人生を変えたアルバム10枚~」という企画に参加された時に1枚目として筋肉少女帯の「月光蟲」を挙げられていましたが、そういう面で大槻ケンヂさんからの影響というのはあるのでしょうか?
照井: そうですね、言葉には関心が強いと思います。オーケンから直接的な影響はどうなんだろう…「小説のような歌詞」を初めて体験して、こういう視点もあるんだという発見をしたことに関しては影響を受けたのかなと思っていて。筋少を聴いていたのが中学校とかだったんですけど、流行っている恋愛の曲とかマジで乗れなくて、歌詞も聴いていられないと思っていたところに、全然違う視点で歌詞を書いてくれていたので「こういうの良いなあ」と。
筋少で一番聴いたのは「断罪!断罪!また断罪!!」の6曲目の「包帯で真っ白な少女」って歌詞の…「何処へでも行ける切手」か。あれとか好きでしたね。まあ筋少は初期から後期まで全部好きですけどね。
──以前、「日本のフェイバリットバンドの一つ」として大槻ケンヂさんの特撮も挙げられていて、ギタリスト兼サウンドプロデューサーのNARASAKIさんがやられているCOALTAR OF THE DEEPERSもお好きだということだったんですが、特撮を聴いていたのはいつ頃ですか?
照井: 初期のアルバムの「爆誕」と「ヌイグルマー」と「Agitator」ぐらいまでは熱心に聴いていましたね。それ以降はそこまで熱心に聴いていたって感じではないんですけど。「爆誕」の頃は多分もうハイスイノナサのメンバーと前身バンドをやっていて。
──「爆誕」と「ヌイグルマー」は「死ぬほど聴いた」というお話でしたよね。中でも「ヌイグルマー」については「捨て曲がなくて、どの曲も良い」と絶賛されていて、収録曲の「ケテルビー」はsiraphのキーボーディストの蓮尾理之さんとも「良かった」と振り返られていましたね。その時に、照井さんは「ケテルビー」のギターリフにすごく影響を受けていて、「パクッてはいないけど、アレンジして似たようなことをやったりした」と教えていただきましたが、どの作品で取り入れた感じでしょうか?
照井: 「呪術廻戦」とかで、ああいう雰囲気のイメージのリフを使っているところはありますね。自分のバンドでああいう「EMGのピックアップで弾いていますよ」みたいなヘヴィなリフってあまりなくて。でも「呪術廻戦」ってそういうものが求められたりもしていた時があったので、そういうリフでパッと浮かんできたのがNARASAKIさんだったりデフトーンズだったりとかで、そういうのを参考にしながらやってみようと。
──なるほど。人物像に迫るパートの最後に…何年か前にXで「おいSNS、あまり調子に乗るなよ」と唐突にポストされていたのが印象深いのですが(笑)、真意をお聞きしたいです。
照井: そんなのがあったんですか(笑)。そんな言い方のやつはもう完全にギャグですね、意味はない(笑)。
──激しい憤りがあったのかと思っていました(笑)。
照井: いや、基本的に俺は色んなことに怒りを抱えている人間ではあるので、激しい憤りはあります。様々なことに怒っていますね、SNSなんてもうブチギレですよ(笑)。でも言えないですよね。友達の家とかでは言っていますけど、公の場で言うようなことでもないので。Xで議論とかめっちゃ不毛じゃないですか?だからなんかXで過激なことを言うと絶対そういうのが来ちゃうんで、そういうことにエネルギーは使いたくないっていう。Xの仕組み的に議論が建設的になることも相当難しいと思いますし。

──ここからはハイスイノナサについてうかがいたいと思います。デビュー時のインタビューで、元ボーカリストの鎌野愛さんをメンバーに招いたポイントに関して「ルックスですかね」と答えられていたのが印象的で(笑)。
照井: まあ冗談ですけどね(笑)。ビジュアルもたまたま良かった。当時の自分が見た目で選ぶことはありえなかったですね。俺の当時の価値観とかは完全に、そういうものの真逆を行っていたと思います。今は大局的にビジネスの面とかを考えるのであればもちろん必要なものだとは思いますけど、当時はそういうものに対しても全てブチギレていたんで(笑)。
鎌野さんはカラオケのバイトで一緒になって。本当は男ボーカルのバンドがやりたかったんですけど全然いなくて、どうしようかなと思っていた時にカラオケがうまかったから一緒にやってみようっていう。オペラをやっていたというのが大きくて、オペラの技術を活かして変なオルタナティブなことができないかなと。シガー・ロスとかみたいなことができないかっていうのがまず最初の試みでした。
──ハイスイノナサの初期から、照井さんのプレイスタイルは一貫している感じなのでしょうか?
照井: どうなんでしょうね?あまりそう思ってはいないです。ギタープレイは全然模索中というか。自分は生活の中で表現したくなった感覚をいかに音楽に変換するかということを考えていて、ギターが弾けたから感覚をギターを使って音に変換するっていうことだけをやりたくて。コンセプトでいえば、「単音を多用してクリーントーンでフラットで無機質なプレイ」みたいなのが当時のハイスイでやろうとしていたことではあったんですけど、今はまた結構違うと思うし。
ハイスイって全体的に音楽の豊かとされている部分というのかな、人間味であったりとかビブラートとか音色の膨らみとか、そういうのを全部削除しようと思ってやっていたところがあって。
──初期から指弾きだったんですよね。
照井: そうですね。さっきもちょっと言いましたけど僕、元からクラシックギター出身で、エレキギターに転向した時に迷ったんですよね。ただ、当時はあまりエレキの知識がないから「まあ指でいいんじゃね?」と思ってやっていたら、後でピックの良さを知って苦労しました。
──今は明らかに感情を込めて演奏されていることが視覚的にもわかるライブパフォーマンスだと思うのですが、ハイスイノナサの初期の頃はどうでしたか?
照井: えっとですね…これもまた面倒くさいんですけど、俺は多分結構ウェットな人間なんですよね。だから逆に、色んなロックバンドとかが表層的にエモいポーズをやっているのがすごい嫌だったんですよ。それが本当に怒りで。だから、そういうのを排除して機能的な音楽をやりたいなとか。当時は「ヌメヌメした湿度の高いロック」みたいなのが本当に嫌で(笑)。ポーズだけ汲み取ってなんとなく言っているくせに、深いところを言っているような感じになっているやつらが多いと思っていました。
そういうのはすごい嫌いだったというのもあって、クセナキスとかアルヴァノトとかそういう、感情とかじゃなくて機能とかドライに、もっと数学的にやっているっていう人たちへの憧れみたいなのがあって。「ヌメヌメしたのはもういいよ」っていう感じで。ハイスイの初期とかはそういうものにも重なっていたんですよ。
──尖っているし、パンクですね。
照井: 根はパンクだと思います。
──楽曲提供や劇伴のお仕事などでハイスイノナサのエッセンスを感じる機会が多いのですが、照井さんの中でハイスイノナサというのは核にあるものなのでしょうか?
照井: そうですね。ハイスイノナサは俺が純粋に表現したい世界みたいなものをやりたい放題に、自由にやっていたバンドだったので。ハイスイのメンバーには常々、「みんなにやりたいことはない?」って確認していたんですが、みんな「順政のやりたいことをやりたい」というスタンスで、そういう意味でかなり俺のイメージがストレートに反映されているバンドだったと思います。
siraphは結成された時にはすでにメンバーそれぞれにキャリアがあって、そのメンバーみんなの個性を活かしていくバンドという感覚です。sora tob sakanaもアイドルっていう建て付けがあるのと、あのメンバーだからこそ出てくる表現が大事であって、自分の世界観に重なってはいるんだけど、その一部っていうのかな、使える部分だけみたいな感じなんで。
──ハイスイノナサで最も気に入っている曲というのはありますか?
照井: 「平熱の街」と「変身」かなあ。というのも俺は音楽において一番根っこの部分で重視しているのが「洗練していく」ということだったり「技術を高めていく」という部分じゃないっぽくて。どちらかというとそういう部分じゃなくて…原初の感覚になるべく近づくというか、色々な概念や言葉を取り払って、世界を丸のまま感覚するための表現というか、そんなものを大事にしたいと思っていて。
一方で磨いていく、洗練していく、上達していくみたいなこともとても好きだし重要だと思ってはいるので、その両面を良い形で包括したものをやれたらいいなと思っているのですが、「平熱の街」と「変身」はバンドの始まりの曲と終わりの曲であり、両面を表現しようというチャレンジが一番良い形で音楽になっているかなと思うので、その2曲ですね。
──今のところ最後のシングルである「変身」ですね、自分もハイスイノナサで特に好きです。ハイスイノナサで照井さんが初めて作った曲が、デビュー作の「街について」の1曲目に収録されている「平熱の街」ということでしょうか?
照井: もうちょっと前から(作った曲は)あったんですけど、音楽をやっていた「だけ」というか。本当に自分の表現したいものっていうのをなんとなく掴んで、それを音楽に変えてやろうみたいなのは「平熱の街」が最初だったかなと思います。その前は単純に「バンド楽しいね」みたいな。「音楽うまくなりたいね」とかでやっていたっていう。
ハイスイノナサ / 平熱の街
ハイスイノナサ / 変身
──2017年にメンバーが増えて新体制になってまもなく活動が止まってしまうわけですが、なにか具体的な理由はあったのでしょうか?
照井: 色々あるんですけど、当時一番思っていたのは…俺の視点になっちゃいますけど、みんな結婚するとか仕事が忙しくなったりとか、そういう人生のステージが変わったり色々あったりする中で、少しずつバンドに集中できるリソースの差が表面化してきたというか…俺は完全に人生捨てゲーでやっていたので(笑)。みんなやっぱり家庭とかね、その後の将来のこととか、色々なバランスの中で人生の選択をしていて、その中で可能な限り頑張ってくれていたんだけど、俺はそういうのが一切なく「今のこの表現だけに全て懸けてるから、みんなそれに付いてきてくれ」みたいな。
それで少しずつ齟齬が出始めちゃって、自分のやりたいこともやりきれない感じだし、みんなにも色々強いるのも嫌だなという感じで…だんだん違う形での表現などを模索し始めたという感じでした。
──なるほど。ちなみに、sora tob sakanaのライブとレコーディングにハイスイノナサのメンバーが多数参加されていますが、やはり別物でしたかね?
照井: うん、別物ですね。あれはもうちょっと、色んな人が関わっているプロジェクトとして、って感じだったんで。オサカナはまずオサカナのメンバーを成功させなきゃっていうのが第一にあったんで、そのためのメンバー揃えとかっていう。単純に凄腕だけ集めるというよりもツーカーで話せるとか雰囲気がいいとか、まあ色んな良さがあるじゃないですか。そういうものの総合値を取って、あの時はあの形でした。

──この流れで、sora tob sakanaの話に移らせてください。あまり触れられていない後期の活動や解散のこと、その後の関連するトピックに関して重点的にお聞きしたいと思いますが、まず照井さんの中でオサカナの上位を挙げるとしたら、現在だとどの曲になりますか?「夜空を全部」は昔からお気に入りのナンバーですよね。
照井: そうですね、俺の中で「夜空を全部」と「夜間飛行」は結構堅いかなって感じで。「信号」も相当好きなんですけど…「信号」はさっきのハイスイでいうところの「変身」理論みたいな感じで。「魔法の言葉」も良いしなあ。難しいなあ。ちょっと曲の一覧を見ていいですか(笑)。
(Spotifyを見ながら)多分俺はオサカナで、アルバム単位というか大きいまとまりとしてはファースト(アルバムの「sora tob sakana」)が一番良いと思っていて。「alight ep」とかもね…「tokyo sinewave」とかも結構上位に来ますね。これはでも日々変わりますね。「夜空を全部」は固定で好きかなっていうぐらいですかね。
sora tob sakana / 夜空を全部
sora tob sakana / 信号
──sora tob sakanaで唯一音源化されていない曲として、5周年記念ライブの1曲目に披露された「node」がありますが、あれはあの日のためだけに作られたものだったのでしょうか?もし活動が続いていたら、ライブでの新たな出囃子として使われたり、次のアルバムの1曲目に収録されていた可能性もありましたか?
照井: 「node」は俺が次の「ribbon」に繋がるSEを作りたくて、(メンバーの)入場の演出込みで考えたって感じですね。(アルバムへの収録は)考えていなかったですね。あくまで「ribbon」ありきだし、ライブの演出って感じだったんで。ああいう特別な機会に一回だけ、みたいな意識でした。
──最後のアルバムである「deep blue」の収録曲は、照井さんが全て選定されたのでしょうか?
照井: そうですね。ベストアルバムを出すっていうのはやっぱり俺の発案とかではないんで、自分の好きな曲を詰め込みましたっていうよりは、まあ代表曲みたいなイメージで選びつつも、自分の趣味も出ているとは思います。「Brand New Blue」に関してはタイトル繋がりではなくて、「alight ep」に入っていた時はアレンジを白戸佑輔さんにお願いしていて、それを自分のバージョンでもやりたかったというのもあって入れました。曲も気に入っているので。
──アルバムの全体を通してバンドセット寄りのアレンジだったように思うのですが、そういう意識で制作された感じですか?
照井: バンドセットのメンバーでそのまま録音した感じで。まあ音作りが生々しいというかバンドっぽいのは、意図はしていないです。あれはね、間に合わなかった(笑)。しょうがなくああなったって感じですね。本当はもっと作り込みたかったですけど。(時間に余裕があれば)全然違う音になっていましたね。曲数はあのままだったと思いますけど、ミックスとマスタリングはね。
──配信限定も含めて、シングルでしか発表されていない曲がアルバム1枚分ぐらいありますが、そうしたシングル集をリリースする案はなかったですか?
照井: それはなかったですね。(今後出る可能性も)さすがにないですね(笑)。メジャーファースト(アルバムの「World Fragment Tour」)の時に「New Stranger」を入れていないのは、アルバムの世界観を作るという意味で、先行シングルだからといって「入れないほうがいいよね」っていう話はしていました。先行シングルで、しかもタイアップも付いていたから、普通は入れるべきというか入れるんですけど。そこで「入れません」というのは「音楽をちゃんとやりたいんだよね」みたいなポーズとしてもあったと思います。
──「deep blue」の発売後にラストライブを開催してsora tob sakanaの活動は幕を閉じるわけですが、当日の照井さんの心境を教えていただきたいのですが…
照井: ああー。ゲネ(プロ)が2日前にあったんですけど、すごく感動しちゃって。バンドメンバーも泣いたり感極まっている感じで。で、ゲネが終わって、もう結構スッキリしていたっていう(笑)。だからまあラストライブは割と純粋に「いい感じにしたいな」という感じでした。「解散、悲しいな」とか「このメンバーとやるのももう最後か」みたいな意味でのエモさってあるじゃないですか。そういうのは多分あそこでピークが来ちゃって。(当日も感傷的に)なるかなと思っていたんですけど、そんなに…それよりは「今のステージを良くやろう」みたいな感じでしたね。
──なるほど。ラストライブで全曲を披露する事になった経緯は?
照井: これはメンバーが多分あまりガチで言ったわけでもなく、ポロッと「ラストライブ全曲やりたいよね」みたいなことを言っていたので、それで「じゃあメンバーが言うんならやりましょう」と。当初はもっと曲数を絞って、ステージの完成度を上げて演出も濃いものに…とか考えていたんですが、メンバーの言うことはなるべく叶えてあげようというチーム全体の方針で動いていたので。
──解散から5年ぐらい経ちましたが、れいちゃん(風間玲マライカ)が仮に途中で卒業していなくても、やはり同じタイミングで解散ということになっていただろうなと思いますか?
照井: 全ての要素が絡んでいて、しかも結局メンバーの気持ちみたいな面が大きいプロジェクトで。解散の直接的な引き金も、あるメンバーが「このぐらいの年齢になったら辞めようと思っていた」とかがあったんで、そこは多分基本的には変わらなかった…もしかしたらそのメンバーが、れいちゃんがいることによってなにか心変わりしたとか、まあその辺はバタフライエフェクト的な…なにが起きるかはわからないですけど、基本的には変わらなかったと思いますね。
──照井さん的には、その頃には解散ということになるかもしれないなという意識もありつつ携わられていた?
照井: うん、ある程度、1年前ぐらいにはもうそういう感じでしたね。まあ結局どうなるかっていうのは常にわからない感じで。これは色んなところで話していますけど、メンバーは別にアイドルがやりたい子たちじゃなかったんで、いつ終わってもおかしくないっていう感じでした。
──照井さんとしては、できるのであればもっとsora tob sakanaのプロデュースを続けたかったですか?
照井: 仲良く、そのままモチベーションも高くメンバーがやれていたら、全然自分から辞めたいとかはなかったですけど、なんとかしてメンバーを増やして続けられないかとか、そういうのはなかったですね。
──解散後に、周年ぐらいのタイミングでオサカナのメンバーとバンドメンバーで飲み会が開催されているじゃないですか。そのお写真を毎年Xでポストしてくださるのでファンとしては大変ありがたいのですが、照井さんが声をかけて集まっている感じなのでしょうか?
照井: そういうことが多いですかね。そうじゃないことも最近はちらほらあったりとか。後はあんな大規模じゃなくて小規模で、メンバー同士だったり、メンバーとバンドメンバーとでだったり、ちょいちょいみんな交流を取っている感じですね。
──その場において、再結成の話とかは全く出ないですか?
照井: 再結成の話は全くないですね。sora tob sakanaの再結成がありえるとしたら、誰かの結婚式じゃないですかね(笑)。そういうことじゃなきゃ、ないんじゃないかなあ。再結成っていうのはねえ…まあでも、ふぅちゃん(神﨑風花)がライブをする機会があってオサカナの曲をやりますとか、そこにれいちゃんが来ます、ぐらいまではありえるかもですね。表立って活動したいと思っているのが…ふぅちゃんとれいちゃんは、いまだにちょっとありそうなんで。本気でやるっていうことじゃないですけどね。そういう、たまになんかの機会で2人ぐらい揃うとかはあるかもですけど。
──いつかバンドセットでのライブで、4人での全曲披露というのも観てみたいなという…
照井: ああー。それはね、なにかが、奇跡が起きればって感じですよね。だから俺はもしそれを(メンバーの)誰かに言われたらもちろん協力しますけど。まあ向こうから言わないとって感じですね。
──今少し話題に出ましたが、昨年に行われたふぅちゃんのアコースティックライブで久々にオサカナの曲を一緒にやられたじゃないですか。振り返ってみていかがでしたか?
照井: ふぅちゃんがすごい大人になったなという。なんか曲の内容というよりも、段取りとかをふぅちゃんがやっていたんですよ。イベント制作というのかな。俺たちにブッキングすることもそうですし、箱押さえとか座組作りとかを自分でやっていて。「アイドルの時に文句を言っていた会社の人たちの気持ちもちょっとわかるようになりました」とかそういうことを言っていて、大人になったなという(笑)。「しっかりしている人間に育ってくれて良かったよな」みたいな。
アイドル活動って下手したら、みんなが色々学んだり人生経験を積む部分を結構すっ飛ばして活動に使っちゃうみたいな…ともすれば大人になった時に社会生活がしづらい子が完成してしまう、みたいなこともありえたわけですけど、そうさせたくないっていうのがオサカナの第一のコンセプトみたいな感じであったので、ちゃんと人生に役に立つ…オサカナが終わっても人間として良くなる、みたいな風にしたいっていうのがあって、それをふぅちゃんが実際に実践してくれたのが良かったですね。
──sora tob sakanaで、発表するに至らなかった曲のストックってありましたか?それを他に回したりは?
照井: ネタみたいなものは結構ありましたね。多分10曲ぐらいはあったかな。まあでも、本当に形になっていないですけどね。他に回したものは…多分ないんじゃないかな?オサカナってあまりにも当て書きというか…例えばオサカナ用の曲をそのまま他のアイドルにとかって結構難しいっていうのがあったから、まあネタを使って形を変えてみたいなことはやろうと思えば、ってぐらいですけど、やってはいないと思います。
──新たなアイドルの専属プロデュースみたいな話がもし回ってきたとしたら、やってみたいなというお気持ちはありますか?
照井: そうですね…女性アイドルにしても男性アイドルにしても「オサカナみたいなフォーマットをもう一回」みたいなものだったらやりたくないですけど。いわゆる日本の…K-POPとかも含めてですけど、今あるアイドルグループのフォーマットに倣ってなんかやるっていうのはモチベーションはないです。
アイドルといっても全然違うやり方のなにかを、面白い考えを持っている人がいて、それで音楽として力を貸してほしいというかプロデュースしてほしいみたいな依頼が来て、それにモチベーションが持てそうだったらやってみたいって感じですね。

──siraphの近況などもお聞きしたいのですが、siraphにおける現在の照井さんのスタンスというか、特に意識されている点はどういった感じでしょうか?
照井: 最近、本当に最近バンド内でも色々しっかり話し合ったりして変わってきたんですけど、俺がやりたいことっていうのをやるとsiraphっぽくなくなるというのがあって。siraphのメンバーにも合わない感じになっちゃうというのがあるんで、もっとsiraphの作曲の根幹というのは蓮尾くんにやってほしいなって思っていて。
で、実際に蓮尾くんが今いっぱい曲を作ってくれていたりするんですけど。だから俺はあくまでギタリストとかアレンジャーとかっていう点で頑張るみたいな風になったほうが、多分バンドとして良いかなと思っているんです。
──今後は蓮尾さんが作られる曲のほうが多くなっていく?
照井: 恐らくそうなると思います。
──以前、「siraphで代表作になるような曲を作らないといけない」みたいなことを言われていたのですが、今はそういうモードではないということですかね?
照井: 俺が作るというよりも蓮尾くんに作ってほしい(笑)。まあアレンジとかもちろん、例えばギタリストとして見たとしても「この音色がすごいシグネチャーである」とか「このリフの中毒性がすごい」とか、そういうものとかは作れたらとは思いますけど。ただ、曲を根幹から作るっていうのは、まあ必要とあらばぐらいと思っている感じですね。
──先ほどの代表作についてのお話を聞いた翌年に「前世界」がリリースされまして、それを狙って制作されたところもあったのかなと思っていました。
照井: ああー。あれは原点回帰っぽかったですよね。ただ、結局あの路線をsiraphで今後やっていくべきなのかっていうと、それもなんか違うかなと俺は思っていて。あれだけ激しい感じを全部、「これがsiraphなんだ」みたいな風にやっていくって感じは多分メンバー的にもないし。まああれはあれで、あの時の俺のsiraphとしての総括というかね。それを一回区切りとして出したっていう感じです。
siraph / 前世界
──なるほど。その「前世界」も収録されている最新作の「Ghost camp」に纏わるお話は、YouTubeのチャンネル内で不定期に配信されている「siraph TV」でも詳細に語られていますが、少年的な世界観がテーマだったりとか、今までに比べると全体的に曲調がポップだったりするのは、主に照井さんや蓮尾さんの劇伴のお仕事から辿ってくるであろう新規のファン層を想定して間口を広げているという面もありますか?
照井: それもちょっとはあります。でもどっちかというと、siraphのメンバーが活きる感じにしたいなっていうのがあって。多分俺が一番、前衛とかをやりたがるタイプなんですけど、それはやっぱりあまり合わないかなというのがあって、もっと音楽としてちゃんと気持ちいいみたいなほうに寄せたいなっていうのはありました。
──前衛的でコアな曲が揃っているファーストミニアルバムの「siraph」からは、「時間は告ぐ」と「想像の雨」以外はライブでほとんど披露されませんよね。
照井: そうですね、モードがもうちょっと変わっているというか。だからファーストの1曲目の「in the margin」とか、ああいう感じですよね。あのイントロとかAメロとか、俺がやるとああいう方向性のカラーが結構出てくるっていうか。今音楽的にああいうことをやりたいとかではなくて、あの精神性で全く違うものみたいな。ただ、それはちょっとやっぱりバンドメンバーには合わないなと今は思っていて。
ありがたいことに今、他に俺が曲を作る場がいっぱいあるんで、そういうところで自分のやりたいことはちょっとずつ出していったり。今のところは自分のソロはやれていないから全部は出せていないですけど、まあエッセンスを入れていったりとかっていう感じですね。siraphに対する俺の制作の熱量とか量が減るっていうことは別にないですよ?ただ、ギタリストとしての割合が増えるっていう。
──最近、ギターをテレキャスターに新調されて、Xで「これを買うちょっと前くらいから、ギタリストとしてまたちゃんと頑張りたいという熱が異様に高まり、環境から何からガラッと変えています」と投稿されていたじゃないですか。それが関係しているのか個人的には、直近のsiraphのライブにおける照井さんのギタープレイに、以前にも増して気持ちが乗っているというか飛ばしているなという印象を抱いていて。今、再びギターに対して意欲的になってきたというのは…
照井: まあ頑張りたいみたいな(笑)。今でも全くギタリストとしての自負はないですけど。ただ、もうちょっとまともな…ある程度は指が動くから、「こっから頑張れるかな」みたいな感じですね。siraphにおいては、まさに今話した、作曲とかを割と任せていって自分はギタリストとして…そうしたらバンドの一員としての自分の貢献はやっぱりギターの演奏とかライブパフォーマンスってことになると思うんで、そういうところをもっとちゃんと見つめ直していこうかなみたいな。
──そうした意向も受けて、蓮尾さんがやる気になられているというのが今のsiraphですかね?
照井: うーん、結局蓮尾くんに「今後なにを一番やりたいのか」みたいな話とかをした時に、蓮尾くんがやりたいこととsiraphはかなり地続きだっていう感じだったんですよ。「そういう人が作ったほうがいいよな」と俺は思っていて。俺は創作として一番やりたいことをやったらsiraphじゃなくなっちゃうから、やっぱりそこは蓮尾くんがやるべきだと。で、俺はそれを一番いい感じに、自分なりに協力できる形にしたいなっていう。
今まではなんとなく(作曲は)半々かなみたいなのがあったんですけど。だから今めっちゃ曲を作ってくれていますね。siraphのフェーズは変わっていますね、明らかに。もうデモが結構…かなりの曲数があって、ギターも仮録りとかしているんですけど、当然すごく蓮尾くんっぽいですね、今のところは。新たな「本当に新しいsiraphです」みたいな感じではないですね、デモの段階ではね。ただ、ギターのアプローチを含め、完成に向かって新しさは出したいなと思っていますけど。
──なるほど、楽しみですね。ちなみに、ある時期からボーカリストのAnnabelさんのライブでの立ち位置が一番下手で固定されていますが、今の並びがしっくりくる感じなのでしょうか?
照井: まず見た目的にそのほうが好きだなと俺は思っていて。「真ん中で女性ボーカリストがピンでドーン、じゃないほうがsiraphには合うかな」というのがなんとなくあるのと、後は単純に実践的な話で、Annabelさんの歌ってそんな声量を出す感じじゃないので、バンドの音が被ると声が聴こえづらくて細かい表現のコントロールが難しいと。で、ドラムとなるべく離れたいとかっていうのがあって、ああなっているというのもあります。
(サポートドラマーの)フミキモくんがまたパワフル系なんでね。(元ドラマーの山下)賢くんはもっと抑制が効いている感じで、どっちが良い悪いではないんですが。(sora tob sakanaのバンドセットも)ギターが両端にいて、みたいな「シンメトリー感がカッコいいよね、一番落ち着くよね」っていう感じでした。

──そんなsiraphでの精力的な活動も控えながら、今後の照井さんのご活躍の場というところでは、やはり劇伴のお仕事がメインになってきますかね?
照井: いや、そうではなくソロですね。今後は自分のソロをやるっていうのをメインにしたいと思っています。
──そうなんですね!今までは多忙で実現ができていなかったのでしょうか?
照井: そうですね。モチベーションは10年以上前からめっちゃあったんですけど。自分の人生の足場みたいなのが固まって…劇伴とかって、お仕事としての安定感はすごくあって、それによって機材が買えますよとか生きていけますよっていうのがあるので。ある程度のまとまった資本みたいなものがあってこそできることとかもあるので、その基盤を整えたいっていうのもあったんですよ。オサカナとかは始まっちゃったらもうあの子たちに付いていくしかないって感じで、6年やってっていう。で、なんやかんやで10年経ったみたいな感じです。
──10年以上前にソロをやりたいと思われた時から、なんとなくでもアイデアやコンセプトなどは頭の中にありましたか?
照井: えっと、ユニット名は決まっているんですよ。もう10年以上前からずっと(笑)。ユニット名というか、コーネリアスみたいなことですよね。要は一人でのアーティスト名というか。それはずっと決まっているし、今もそのままでやろうかなと思っているんですけど。まあやりたいことは…その当時の問題意識とかっていうのはやっぱり変わっているので、そこは本当にやるってなった時に改めて考えるって感じですね。
──照井さんが歌われる前提でのソロということですか?
照井: うーん、それもありえるかもですけど、メインで歌ってって事ではないと思います。もしかしたら曲によってはちょっと自分が歌うとかもあるかもって感じで。
──例えばsora tob sakanaのメンバーをゲストとして呼んで少し歌ってもらうとかもありえますか?
照井: ああー、ありえるっちゃありえますね。
──色々と期待が膨らみますが、早ければ2026年にもソロが始動する予定なのでしょうか?
照井: 制作期間ぐらいにはなっちゃうでしょうね。さすがに来年に曲を出すぐらいまでは行けなそうかなとは思うんですけど。(曲を出して)ライブもガンガンやって、っていうのを本当は中心にしたいとは思っています。siraphがどうなるかはちょっとわからない…siraphの今の活動量って、みんなそれぞれにやられているしそんな多くないから、(ソロは)その比ではないって感じですかね。ハイスイをやっていた時ぐらいの活動量にはしたいですね。
──ハイスイノナサは照井さんが楽曲制作の9割を担っていたと別のインタビューで拝見しましたが、それよりもソロはさらに純度の高いものになる?
照井: そうか、確かにそうですね。ソロだからなあ。(ハイスイノナサと)音楽性は全く違うでしょうね。ただ、精神が一緒っていうのかな。だからあの手の感じになる…音楽から得たインスピレーションで音楽を作るという感じではないものをやることになると思います。
──このインタビューの序盤のほうで言われていたような、照井さんが日々感じている怒りというのも…
照井: それも出ると思います。というか問題意識ですよね。「こういうところはおかしいでしょ」っていうのが創作の基盤になるみたいな。もちろん直接的には言わないですけどね。表現の土台としては多分そこですね。
──ギターが中心に来るのでしょうか?
照井: どうだろう、ギターが中心に来るのかなあ(笑)。ギタリストとして頑張りたいっていうモードだから、もしかしたらそうかもですけど。バンドっぽくなるかどうかも全然わからないですね。まあバンドってライブがやりやすいですからね。だからそういう意味では(バンド編成で)やるかもですけど。一般的なロックバンドっぽい編成なのかはわからないし、それこそ(WOZNIAKの)星(優太)くんじゃないですけど、PCを持ち込んでやるパターンもあればギターを弾くかもしれないしとか、色んなやり方になるかもしれないです。
──このタイミングでソロ活動にシフトしようと思われた最終的なきっかけなどはありましたか?
照井: 自分に残された時間を考えた時、まともにバリバリ活動というのは20年、30年ぐらいしか…長くてもそんなものだと思うので、その中でなにができるかみたいなことを考えると、芯からやりたいと思えること以外をやっている場合ではないというかね。なるべく自分が残したいものとかやりたいものに全うしたいという感じですかね。(ソロを)一回やってみたらどういう気持ちになるのかわからないですけど、とにかく10年以上のフラストレーションも溜まっているので(笑)、作るってなった時にモチベーションがあると思うんですよ。
オサカナの時もそうで、ハイスイをやっていた時ってハイスイでやりたいことはやっていたんだけど、ハイスイはハイスイで一つの形になっちゃっていて、歌モノとかができなかったから「歌モノもやりたいなあ」みたいな。それでハイスイを始めてからずっと勝手に抑圧されていたその部分がオサカナとして開花したっていう感じで。今回はもっと根幹的な部分が抑圧されているので、まあ一回とにかくやってみようと。それで「もういいや」って燃え尽きる可能性もありますけどね(笑)。
その後は「劇伴超うまくなりたい」とか、そういうモチベーションになるかもしれないし。(今後も)クリエイトは手を緩めないというか、もっと頑張るって感じですね。
──なるほど。今後の照井さんの様々な表現活動も見届けさせていただきます。本日はありがとうございました!
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