エレキギターの総合情報サイト
パット・メセニー(Patrick Bruce Metheny)氏は、現代音楽で最も重要なミュージシャンの一人です。氏の演奏技術はキャリアの初めからほぼ完成の域に達しており、それでいて音楽には常に野心的で、新作ではいつも私たちを驚かせ、また感動させてくれます。
12の部門で合計20のグラミー受賞(10部門以上の受賞は、世界でこの人ただ一人)をはじめ、米国のジャズ専門誌「ダウンビート(創刊1934年)」にてジャズギタリストとして4人目の殿堂入り(2013年。ちなみに、ジミ・ヘンドリックス氏も1970年に殿堂入り)、バークリー音楽大学名誉音楽博士号取得(1996年)など、40年以上のキャリアの中で安定的に高く評価されています。今回は、このパット・メセニー氏に注目していきましょう。
Pat Metheny – Kin – Live At The Five Angels Theater, New York / 2014
いくつもの楽器を遠隔操作する装置「オーケストリオン」を使用しながらの演奏、と説明されても何のことかまったくわからない、われわれ常人の理解を越えた存在がパット・メセニー氏です。やってることの意味は分からない、しかしとにかく美しい音楽、そしてどんな大舞台でも常にカジュアルなファッションです。
パット・メセニー氏は、1954年アメリカ合衆国ミズーリ州、スウィング・ジャズをこよなく愛する家庭に生まれます。はじめはトランペットを練習していたメセニー氏でしたが、10歳の時にテレビで観たビートルズに触発されてギターに興味を持ち、11歳でマイルス・デイヴィス氏とウェス・モンゴメリー氏に夢中になり、12歳の誕生日にギブソンES-140(小型のフルアコ)を手に入れます。
15歳の時に参加したダウンビート誌主催のジャズ合宿で高く評価され、ニューヨークに招待されてジム・ホール氏とロン・カーター氏に会います。それこそ一日中ギターを弾いていたと伝えられますが、18歳の時にはバークリー音楽大学で教鞭を取るほどになっていました。
このころ革新的なベーシストジャコ・パストリアス氏と親交を深めており、非公式ながら二人でポール・ブレイ(Pf)氏のアルバムに参加します。このアルバム「Jaco(1974)」がプロとして初のレコーディングで、その後ついにデビューアルバム「Bright Size Life(1976)」をリリースします。
メンバーが固まって「パット・メセニー・グループ(PMG)」を名乗り出したのは1978年で、それ以来今に至るまで、PMGやソロ名義、またさまざまなコラボレーションなど広範囲かつ安定的に活動を展開しています。
As a Flower Blossoms (I Am Running to You)
国内屈指の天才として知られる矢野顕子(やのあきこ)女史とは、しばしばコラボレーションを展開しています。この楽曲ではギターの音が聞こえず「パット・メセニーどこ行った?」と言いたくなりますが、メセニー氏はギター、ピアノ、シンセを担当とのこと。ギターシンセも積極的に使用するメセニー氏のことですから、どのパートを弾いていても不思議ではありません。
人類に冠たるこれほどの有名人ですから、何かあれば世界中に話が広がろうものです。しかしパット・メセニー氏については、ライブ情報/リリース情報以外、趣味や婚姻関係などプライベート、酒や麻薬の過ち、事故などアクシデントといった厄介事のエピソードなど、まったく伝わっていません。生存以外は音楽しかしていないのではないだろうか、とまで言われています。
とはいえ自身の公式サイトではファンの質問に丁寧に答えており、またカプコンのホラーゲーム「バイオハザード7レジデント・イービル(英語版)」では何と、重要キャラクターの声を担当しています。ゲームは好きなのかもしれません。
Last Train Home
TVアニメ「ジョジョの奇妙な冒険 スターダストクルセイダース」エジプト編のエンディングテーマとして、パット・メセニー氏のこの楽曲が選ばれたというのも興味深いお話です。原作者の荒木飛呂彦氏は顔が老化しないことで知られていますが、キャラクターや必殺技の名前に数々の音楽ネタをぶち込む熱心な音楽ファンとしても有名です。
メセニー氏はジャズを前提にしながら、世界各地の音楽を吸収し、様々なジャンルのサウンドを奏でることができます。そのいくつかを垣間見ていきましょう。
Introduction- The Way Up LIVE
PMGのライブ演奏。音楽がどんどん展開していく中で、メセニー氏含めメンバー全員が楽器の持ち替えや奏法の変更を目まぐるしく繰り返します。この演奏でメセニー氏は「オニギリ型」のピックを使用していることが確認できますね。
メセニー氏得意のジャズは、ジャズの延長と説明できる音楽ではありますが、世界各地さまざまな要素を採り入れた独自の音楽が構築されています。音楽のためには「使えるものは何でも使う」という姿勢のようで、中盤のスライド奏法では右手に「E-Bow」を持つことで、途切れることのないサスティンを得ています。トリオ編成の時には、オーソドックスなジャズを演奏します。
One Quiet Night
自宅のスタジオでアコースティック・バリトンギターの演奏を録音したアルバム「ワン・クワイエット・ナイト(2003年)」は、グラミー賞「ベストニューエイジアルバム(2004)」を受賞しました。
このアルバムのために使ったものは「ギターが一本とマイクが一本」のみという潔さで、オーバーダブもありません。アルバム一枚を通してゆったりと落ち着いた曲調で占められており、「寝れる」というレビューの大変多い作品ですが、それもそのはず、メセニー氏自身、「寝室にかける音楽がなかったから、このアルバムを作った」とコメントしています。女流ギター職人リンダ・マンツァー女史との付き合いは深く、本作で使用したバリトンギターのほかに、何十本もの弦を使用する「ピカソ・ギター」をはじめ、彼女の作によるさまざまな変わり種アコースティックギターを弾きこなしています。
Pat Metheny – The Orchestrion EPK
自動演奏装置だったオーケストリオンを、最新技術で遠隔操作システムとして再構築したメセニー氏。このプロジェクトには膨大な時間と人員がかけられたそうで、人間に弾かせればとか、打ち込みでいいじゃないとか、そうじゃない、コレがやりたいんだ、というメセニー氏のアツいハートが感じられます。
「オーケストリオン」は、1930年代に蓄音機が発明されるまで、オルゴールの生楽器版として栄えた自動演奏システムです。19世紀のオーケストリオンはパイプオルガンやピアノ、打楽器を演奏するシステムでしたが、メセニー氏が現代によみがえらせたオーケストリオンにはマリンバやギター、水を入れたガラス瓶も含まれます。しかも自動演奏だけでなくメセニー氏のギターと同期した演奏もできるのです。
メセニー氏のトレードマークと言えば、多くの改造修理を受けてきたギブソンES-175、現在ではシグネイチャーモデルのアイバニーズPM2500ですが、その他にもたくさんのギターが登場しています。アンプやエフェクターについても深いこだわりを持っていましたが、ツアー先の機材で自分の音を出すことができたという経験から、「自分のタッチと魂こそが自分の音を出す」という発見に至り、あまりこだわりすぎなくなったそうです。
若いころのキャリアを支えたES-175は、リアピックアップと配線、ピックガードが取り外され、トーンは「ゼロ」で使用していたようです。また通常のES-175には非採用のヘッドバインディングがあるため、何らかのカスタムラインで製作されたギターだと言われています。メセニー氏はこのギターの修理を決して他人に任せず、全て自力で手入れしていました。しかし1990年代になってさすがにこれ以上使うわけにもいかないレベルでくたびれてきたとのことで、アイバニーズのPMシリーズに置き換えられました、
このギターで最も特徴的なのはテールピースに引っ掛かっている「歯ブラシ」です。エンドピンに固定できなくなるほど使い込んだストラップをどうにかできないものかという課題に、現場のスタッフさんが機転を利かせて解決したのを気に入ってそのまま、ということのようです。
現在のシグネイチャーモデルPM200は、原点に回帰したフロントピックアップ1基、ピックガード無し、シングルカッタウェイのシンプルなスタイルに落ち着いています。これまで先端のとがった「フローレンス・カッタウェイ」だったのが、このPM200から先端の丸い「ベネチアン・カッタウェイ」へ変更されたのは、ES-175を長らく愛用してきたメセニー氏にとっては大きな変化だと言えるでしょう。オールメイプルのボディにアフリカンマホガニー製ネック、エボニー指板というオーソドックスな木材構成に、アイバニーズではこのモデルにしか採用されていない「Silent58」ハムバッカーと存在感のある木製テールピースが載せられます。
Ibanez PM200 Pat Metheny Signature Hollowbody Electric Guitar
アイバニーズのシグネイチャーモデル「PM」シリーズは、これまで幾度かのモデルチェンジを経て、現在の姿に落ち着いています。ツアーに携行しても状態が安定しているという頑丈さに加え、トーンの効きが良いというのがお気に入りのポイントのようです。
PM200を…
Aアマゾンで探す R楽天で探す Sサウンドハウスで探す YYahoo!ショッピングで探す 石石橋楽器で探す
基本仕様をほぼ踏襲して価格を押さえたシグネイチャーモデル「PM2」は、オールメイプルのボディにマホガニー製ネック、エボニー指板というオーソドックスな木材構成に、アイバニーズの定番「Super 58」ハムバッカーと金属製テールピースが載せられます。この金属製テールピースなら、歯ブラシでストラップを固定することもできます。
現在でもまだまだマニアックな印象のあるギターシンセサイザーですが、メセニー氏は早くから愛用、特にサックスやトランペットの音色で使用しています。ローランドG-303はエレキギターにシンセドライバーを組み込んだ「コントローラー」で、サウンドは足元の「GR-300」で作ります。
パット・メセニー氏は派手なエフェクトで聞かせるタイプではなくアンプ/エフェクター関連はシンプルです。しかしその中にも深いこだわりを垣間見ることができます。
デビュー当時から1990年代半ばまでの約20年間、メセニー氏はアコースティック社のコンボアンプ「134」を愛用しました。中域の明るさがありながら基本的にはフラットなサウンドを持ち、歪むことがなく、でかい音量を持っていましたが、故障に悩まされることもしばしばあったとか。そこからデジテック社の「GSP-2101」プリアンプがメインとなりましたが、現在ではKEMPERがお気に入りとのことです。
メセニー氏独特の広がり感のあるサウンドは、レキシコン社のデジタルディレイ「プライムタイムII」2台から作られます。一つは左側へ0.014秒、もう一つは右側へ0.026秒という異なるディレイタイムに設定、さらにディレイ音にわずかなピッチベンド(チューニングをちょっとだけずらす)をかけることにより、コーラス・エフェクターをかけるのと同様の効果を得ているのです。ディレイを使ったコーラスサウンドはコーラス・エフェクターとまた一味違う美しさを持ち、この分野ではメセニー氏の他に故アラン・ホールズワース氏が有名です。
※当サイトではアフィリエイトプログラムを利用して商品を紹介しています。