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ニール・ヤング(本名Neil Percival Young)は1945年11月12日生まれ、カナダ出身のギタリスト/シンガーソングライター/パフォーマー。現在まで40年以上の演奏活動の中で35枚のオリジナルアルバムを制作し、その音楽性の多様さ、特徴的なギタープレイと鼻にかかったような高音の歌声で広く知られているアーティストです。
ロックンロールオブフェイムからはソロ活動とBuffalo Springsfield 期とで2度表彰されており、常に自身にとって新しいサウンドの境地を模索する現役のパフォーマー、名実共に現代最高のロックミュージシャンの一人。
1966年、当時所属していたバンド「バッファロースプリングスフィールド(Buffalo Springsfield)」で、オーソドックスなバンドサウンドとサイケデリックの融合によって成功を収めるも1968年5月に解散、その後のCSN&Yの活動と平行しながらはソロアルバムも発表し、やがて自身のバックバンドであるクレイジーホースを従えてのソロ活動が主体になっていきます。
代表曲の一つ:Rockin’ In The Free World
1979年発表のライブアルバム”Rust Never Sleeps” では大音量のフィードバックサウンドを多用し、そのサウンドは80年代後半よりアメリカで起こるグランジムーブメント前触れを感じさせるということで、後にニールは”Godfather Of Grange(グランジの祖父)”と形容されました。90年代にはソニックユースをサポートにツアーも回るなどし、オルタナティブロック発展の立役者の一人でもああります。
ヤングへのトリビュートアルバムである”The Bridge” にはDinosour Jr., Pixies, Sonic Youth 等が参加、Nirvana のカート・コバーンや Pearl Jam のエディ・ベーダーもその多大なる影響を公言するとヤング自身の人気の再燃にも繋りました(カートが死の間際に書き残したメモに引用されていたのは、ヤングの”My, My, Hey Hey” の一節、「消え去るより燃え尽きる方がいい」だったのです)。
その他にもスウィングやエレクトロニックミュージック等、時代に応じて、何よりヤング自身のありのままの熱情を表現するため様々なジャンル・形態の音楽を取り入れており、ロックンロールオブフェイムからもその継続的な自己改革の姿勢は高く評価されています。
広く知られているのは彼のアコースティック、カントリー、またはハードロックといったオーソドックスな側面でのサウンドが多くあります。60年代後半から70年代終わりに活動した The Band の解散コンサート、The Last Waltz にもゲスト出演しており、ステージに上がる前に吸ったコカインを鼻につけたまま歌ったとか、同じく出演していたジョニーミッチェル(ニールと同じくカナダ出身)がたまたま近くで歌う事になったが、臭くて近寄れなかったなどの逸話があります。
彼が障害を持った子供達の支援をしているのは彼自身が同じ立場だった事によるもので、その社会的貢献も広く認知されています。
A Man Needs A Maid/Heart Of Gold
機材に手をかけサウンドを常に繊細に表現しているギタリストと言えますが、プレイの側面から見ると例えばテクニックやスピードを追い求めるタイプの”ギタリストらしいギタリスト”というよりは、ソングライターとしての歌心が存分に発揮されたいわゆる”味のあるプレイ”が大きな特徴の一つになっています。
ニールの中心にあるのはあくまで「歌」であるとも言えるでしょう。その中でエレキ、アコギともに最大限の魅力を引き出し、かつ自身にとって新しい事を常に開拓する姿勢はまさしくロックンロールスピリッツを体現しています。それを踏まえながらもニールがただ純粋にエレキギターを弾きまくっている瞬間、前傾姿勢で熱中してプレイする姿は非常に象徴的です。
https://www.youtube.com/watch?v=DoUAL4UvGd0
Neil Young – Sleeps With Angels
OLD BLACK 1953 ミニチュア
アコースティックはマーチンのD45からD28、D18など様々使用していて、ほとんどがライブ演奏に対応出来るようピックアップ/エンドジャックの取り付けなどが施されています。
エレキギターにおけるニールのトレードマークが、「OLD BLACK」と呼ばれる53年製のギブソン・レスポールです。レスポール・カスタムに見えますが、もともとはゴールドトップの仕様だったものを黒に塗り直し、テイルピーズもトラピーズ仕様からビグスビーブリッジへ変更されています。
OLD BLACKの他にもビグスビーアーム付きの53年製レスポール・ゴールドトップ、グレッチのホワイトファルコン等を使用、ビグスビーアームはニールが弾くエレキギターに欠かせない要素です。
エレキ、アコギ共にステージ上でのパフォーマンスに重きを置いた改造が施されている場合が多く、周辺器材にも様々な工夫がなされています。中でも特徴的なのが「WHIZZER」と呼ばれるアンプコントローラで、これはアンプのノブのセッティングを自動的に切り替える役割を果たすマシンで、自身の考案により1978年のツアーから導入されました。1991年に作られたモデルでは、3つのツマミを4通りまで記憶し呼び起こすことが可能だと言うことです。
WIHIZZER
足元はその「WIHIZZER」でのアンプセッティングとエフェクター類の設定を一括で操作可能な大きな一つのフットスイッチにまとめられていて、伴奏やソロ、場面場面に応じて繊細に切り替えています。チューナーも変則チューニングに対応出来るよう5台置かれていて、ニールのリアルなイメージをステージで表現するため、ベストな環境を作り上げています。
アンプは59年製のFender Tweed Deluxe、Fender Tremolux、60年製のMagnatone 280-A、Mesa Boogie Bass 400など。
エフェクターはMXR CARBON COPY ANALOG DELAY M-169やボスのフランジャー、Fender Reverb Unit、Mu-Tron Octave Divider、Alesis Microverbなど。
名機テープエコー「Maestro Echoplex」はプリアンプとして使っていたようです。
ニールヤングのソロ2作目にあたりクレイジーホースとの初競演にあたる今作は、”Sinnamon Girl”, “Down By The River”, “Cowgirl In The Sand” など、現在のニールのステージでもメインレパートリーとなっている3曲を含む名盤。ジャケットの爽やかな印象とは裏腹にバリバリに歪んだギターが心地良い。挙げた3曲はニールが39度の熱の中で書いたという逸話がある。
1969年リリース作品
アコギ、ピアノがふんだんに聴こえるこのアルバムはカントリーロック調の色合いも強いが、タイトル曲など2曲が制作前の映画のシナリオからのインスピレーションを受けて書かれた。印象的なピアノはニールによって抜擢された若干18才のプレイヤーによるもの。”Tell Me Why” に始まり “Southern Man”, 最後の”Cripple Creek Ferry”までシンプルながらニールの歌の魅力が十二分に収められたこちらも名盤。
1970年リリース作品
先のAfter The Goldrush の次に発表されたのがこのHarvest にあたり、サウンドの方向性は前作と近く感じられ、シンプルな伴奏と歌にさらに磨きがかかる。それはニールの内面の核をなす部分の一部であり、こののどかな雰囲気や手作り感といったものは、当時成功納め手に入れたスターダムの地位に飽き飽きしたニールが、購入した牧場で過ごしそこで得たインスピレーションの結果と言われる。
“Heart Of Gold”, “Old Man” のヒットシングルを含み、発売から2週間ビルボードチャートのトップを飾った。
1972年リリース作品
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