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ブライアン・メイ(Brian Harold May CBE,)氏はイギリスで70年代に「ロックの頂点を極めたバンド」として広く知られているQueen(クイーン)のギタリストです。
というところが特に有名ですが、ピアノも弾くし、バラエティ豊かな数々の名曲を書き上げました。ボーカリスト、フレディ・マーキュリー氏が他界してからしばらくは活動を休止していましたが、「クイーン+アダム・ランバート」など、新たにボーカリストを迎えた活動を継続しています。
「天は二物を与えず」という諺は多くの場合ウソで、メイ氏は大学院で宇宙工学を研究、のちに博士号を受け、2008年から5年間はNASAのミッションに参画していました。個性のほとばしるギタープレイヤーであり、作品がチャート1位になったこともあるソングライターであり、天文物理学博士なわけです。宇宙科学での活躍も気になるところですが、今回はブライアン・メイ氏の、ミュージシャンとしての側面に絞って見ていきましょう。
Queen – We Will Rock You (Official Video)
この曲を知らない人が、この世にどれぐらいいるでしょうか。メイ氏はこのような実験的な楽曲や、正統派のロック、ハードロックをはじめ、さまざまな曲調の作品を書きおろし、Queenの快進撃に貢献しました。なお、この動画の「それほど赤くないレッド・スペシャル」はレプリカです。
1947年7月19日 生 英ミドルセックス州ハンプトン
音楽好きな父(航空省勤務)の影響でウクレレを弾きはじめ 7才の時に両親からアコースティック・ギターを買ってもらいます。ブライアン少年は、父の手を借りこのギターに自作のピックアップを取り付け、エレキギターにし、ギターの練習に励んでいました。グラマー・スクール(日本でいう中学校)在学中からバンドを始め、10代のうちに父親と「レッド・スペシャル」を完成させます。
大学在学中の1968年、メイ氏は中学の同級生ティム・スタッフェル氏(ベースボーカル)とメン募で加入したロジャー・テイラー氏(ドラムス)の3人で「スマイル(Smile)」を結成、翌69年にマーキュリー・レコードと契約、レコーディングを行います。この年、スタッフェル氏は同じ美大に通うファルーク・バルサラ(のちのフレディ・マーキュリー)氏をスマイルに紹介、ファルーク氏はバンドの大ファンになります。しかしその翌70年、スタッフェル氏は別バンド加入のため脱退、スマイルは解散します。バンドはファルーク氏をボーカルに迎え、「クイーン(Queen)」として再起動します。ベーシストはなかなか定まりませんでしたが、翌71年、ジョン・ディーコン氏に決定します。
デビューアルバムは「遅れてきたグラムロックバンド」と見られることもあって不振でしたが、次のアルバム、また次のアルバムで徐々に支持を広げていきます。大物バンドの前座で海外ツアーも行い、メイ氏の急病やフレディ氏の不調に苦しみつつも、どうにかやり遂げます。初来日はこの時期で、女性を中心とする日本のファンに熱狂的に迎えられました。
4枚目のアルバム「A Night at the Opera(オペラ座の夜)」が大ヒット、それ以後順調にヒットを飛ばしますが、いろいろあってメンバーそれぞれのソロ活動が増え、バンドが休止することもあり、メンバー間も不仲になって「クイーン解散の危機」を迎えます。しかし1985年に開催された「ライブエイド」で大きな手ごたえを感じ、固い結束を挽回します。いろいろ頑張って世界中にその名をとどろかせてきたクイーンでしたが、1991年にフレディ氏が45歳の若さで亡くなり、活動に急ブレーキがかかります。
Queen – Bicycle Race (Official Video)
メイ氏は、ジョー・サトリアーニ氏主催の「G3プロジェクト」やマイ・ケミカル・ロマンスのステージに客演、大物ミュージシャンが集まるチャリティーコンサートに出演など、気の知れたミュージシャンたちとのセッションプロジェクトを多く手掛けるかたわら、クイーンではボーカリストとコラボレーションする形で活動を続けています。ライブでは故フレディ氏の音声とアンサンブルする場面もあり、今なおクイーンでしかできないパフォーマンスが展開されます。
アメイジング・グレイス / 本田美奈子
メイ氏と本田美奈子女史は、シングル「CRAZY NIGHTS/GOLDEN DAYS(日英二国でリリース。2曲ともメイ氏による作詞作曲。日本語詞は秋元康氏)」をプロデュースして以来、親交を深めていました。没後ボーカルトラック以外を編曲し直してリミックスしたアルバム「ETERNAL HARMONY」で、メイ氏はこの「アメイジング・グレイス」の編曲/録音を担当、「すべてのブレスや発音が聴き手に漏らさず届くように完成させました」と語っています。
後述するメインギター「レッド・スペシャル」の唯一無二な個性と異なり、メイ氏の演奏はロック/ブルースの基本にのっとった、比較的オーソドックスなスタイルです。使用するコードフォームやスケールについても難解なものは少なく、シンプルにまとまっているのがほとんどです。シンプルかつストレートだからこそ、ファンの胸を撃つ美しいメロディや覚えやすいリフが生まれるわけです。ただし「発明が好き(ご本人談)」というように特殊奏法の研究にも熱心で、フィードバック奏法をうまくフレーズに利用したり、ディレイとハモったりと、意外性のある演奏も得意としています。
一方でピックアップとエフェクターの組み合わせでサウンドのバリエーションは多く、それぞれのサウンドを活かした的確なプレイを聞かせてくれます。特殊奏法で効果的なサウンドを得るためにも、機材は完璧に使いこなしています。
硬貨をピックに使用するのが大きな特徴で、イギリスの6ペンス硬貨(日本の一円玉より少し大きくギザギザが入っている)を、入手が困難になった1990年代後半からは、同じ感覚で使用できるオーストラリアの5セント硬貨を使用しています。常人にとって弾きやすいかどうかはともかく、メイ氏の手にかかればメロウなトーンから超ハードなアタックまで、表現の幅が広い高性能なピックになります(しかも日本円でおよそ40円ですから、たいへん経済的です)。メイ氏の持つ「エッジの効聴いた、ハイの通ったファズ系の独特の音質」の秘密は、このコイン・ピックにあると言われています。
スタジオワークでは実験的なサウンドメイクを積極的に試す、アレンジを作りこみ一切妥協しないなど、深い深いこだわりが込められます。その中でも、何本ものギターが効果的に絡み合う「ギター・オーケストレーション」がメイ氏の代名詞になっています。
音色を積み重ねたギターはオーケストラのようで、またシンセサイザーの音と間違われることもしばしばでした。これに反発して、初期のアルバムジャケットには”No synthesizers were used on this Album(シンセなんて使ってませんよ)”と表示されました。 メロディを担当するギターが何本も重なった重厚かつ華麗なサウンドには前例がなく、後輩ミュージシャンの偉大な模範となっています。さすがにライブでは再現できないため、ディレイなどエフェクターを活用して近い効果を出しています。
「オーケストレーション」
音楽上のアイディアを、最も合理的かつ効果的な方法で管弦楽団で表現する手段を深く研究する学問(Wikipediaより)
Queen – Bohemian Rhapsody (Official Video)
「ボヘミアン・ラプソディ」は全英シングルチャートで9週連続1位を記録するなど、世界各地で驚異的なセールスを達成しました。現在では主要動画サイトの合計再生回数が16億回を越え、「20世紀に発表された楽曲の中で、全世界で最もストリーミング再生された楽曲」となっています。
約200人での大合唱となっている迫力のコーラスがもっとも印象的ですが、ギターも負けじと何パートも重ねたリッチなサウンドです。メロディを追いかけていくような掛けあい、情熱的なギターソロを支えるサイドギターなど、ギターの各パートが合理的かつ効果的に構成されています。これが「ギター・オーケストレーション」です。
オリジナル・エレキギター「Red Special」
メイ氏はそのキャリアのほとんどで、高校時代に工作好きの父親と2年がかりで完成したという自作ギター「レッド・スペシャル」を使っています。外観、ネック仕様、配線、パーツ類すべてにおいて個性的なこのギターは「世界で最も有名な自作ギター」であり、完成から半世紀以上を経た今なお存在感が曇ることのない「唯一無二のギター」でもあります。このギターのおおまかな特徴は以下の通りです。
部位 | 特徴 |
ネックまわり | ネック本体は、捨てられるところだったビクトリア朝時代(1837~1901)の暖炉から取り出したオーク材で作る。ネック幅はほぼストレートで、クラシックギターなみに極太なグリップ。ネジ一本でのジョイントだが、ボディ奥深くへ挿入。弦長24インチ(ショートスケール)、24フレット+ゼロフレット。指板は黒に着色し、トップコートを施す。弦のゲージは0.09~0.42で、ペグはロック式に交換されている。 |
ボディ | 古いテーブルを利用した合板(オーク材が主体)を使い、セミホロウ構造で、表面はマホガニーの化粧版が覆っている。 |
電気系 | 3基のピックアップはバーンズ社製「トライソニック」だが、センターは磁石とコイルを反転させる改造。3つは「直列」でつながれており、隣同士で鳴らすと疑似ハムバッカーになる。リアピックアップがブリッジに近すぎて単体では使い物にならないが、フロントやセンターと組み合わせることで奇跡のようなサウンドが得られる。それぞれのON/OFFおよび位相転換(フェイズ)スイッチで切り替え。1V1Tだが、遠いほうがボリューム。 |
パーツ類 | 独自設計のブリッジ&トレモロ。ノブなどパーツ類も自作。自作なのにローラーサドル仕様。トレモロユニットの本体はナイフから削り出し、スプリングはバイクから、アームは自転車の部品から、アーム先端のチップは編み棒から作る。ボディエンド側の穴からスプリング張力を調整できる。各種ネジはそこらでかき集めてきたものを使用しており、規格は統一されていない。 |
表:レッド・スペシャルの仕様と伝説
メイ氏はながらく調整を人に任せなかったため、ごく最近までその詳細は謎に包まれていました。数々の謎が解き明かされた現在、いろいろなポイントで「経験ゼロでここまでのものを完成させるとは」「エレキギターのセオリーを否定する設計」「結果的に素晴らしい音が出たのは奇跡」「ほかの人にとっては非常に弾きにくい」などと言われますが、一方で「独自の設計すべてが理にかなっている」とも言われます。
メイ父子にとって初めて作るエレキギターなのに、設計、木工、塗装、配線、各パーツ製作まで全て自力です。主に使われているオーク材は、ワインやウィスキーの樽などで知られる、メイプルよりも硬い木材です。硬い木材のボディ内に空洞を設ける、トラスロッドを仕込む、バインディングを巻くなど、専門的な加工まで自力でやり遂げたと伝えられますが、素直には信じられない話ではないでしょうか。しかしこんなレッド・スペシャルを実現せしめたのは、何より父親の存在あってのものだったと言えるでしょう。
父親ハロルド・メイ氏は、航空省で民間機の設計図を書く仕事をしていた、「設計のプロ中のプロ」です。しかもそんなヒトが「工作が趣味」だというのです。ハロルド氏の日曜大工がどれほどのクオリティだったかは伝わっていませんが、ブライアン少年の家にはあらゆる工具類や工作機械が揃っており、設計から加工、機械の操作まで、「すべてを熟知した父親のレクチャーを受けることができた」と考えるのが自然です。しかもブライアン少年は、音楽をやっていた30年という「ブランク」があってなお、博士号を取得するほどの頭脳の持ち主です。自身の頭脳に加え、父親という「最強の協力者」が、レッド・スペシャルの完成に大きく寄与したわけです。
「ネックが太すぎて弾きにくい」と一般に言われますが、これを弾くメイ氏は187cmの巨人で、手も相当大きいので、ご本人にとっては何の問題もありません。しかもショートスケールですから、平均的な成人男性がミニギターを弾いているのとだいたい同じです。弦長が短いので、豪快なチョーキングや大胆なビブラートが楽勝です。メイ氏は「2音半チョーキング(!)」まで使用します。
ライブではVOX社の名機「VOX AC-30」を壁のように積み上げ、しかも音量はフルアップで使用します。それぞれのアンプはノーマル、コーラス、ディレイというように音色が振り分けられます。見た目に大迫力な「VOXの壁」は、現代のようなスイッチングシステムが存在しない時代、いかに良好なサウンドを得るか、メイ氏の試行錯誤の結果なのです。
録音においては「ディーキー・アンプ(Deacy Amp)」と呼ばれる手作りの小型アンプが多用されます。これはベースのジョン・ディーコン氏(電子工学学士号取得)が1972年に自宅用のベースアンプとして組み上げたもので、1964年に南ローデシア(現在のジンバブエ)で作られたポータブルラジオをゴミ箱から拾い上げ、その基盤を利用したと伝えられます。バンドリハでこのアンプを試したメイ氏は、このサウンドに感嘆します。ボリュームもトーンもなく、9ボルト電池で駆動し、出力はわずか1.5ワットでしたから、ライブでは使い物になりません。しかしレッド・スペシャルとこのディーキー・アンプの間にトレブルブースターをかませることで、ギターなのに管楽器に聞こえるサウンドやギター・オーケストレーションなど、メイ氏は夢のようなサウンドを録音することに成功しています。
ドラムのロジャー・テイラー氏は生物学の理学士号を取得、ボーカルのフレディ・マーキュリー氏は芸大で芸術とグラフィック・デザインを修了して衣装に活かしていますから、クイーンはかなりの高学歴バンドだったわけですね。
Brian May – Star Licks (Guitar Tutorial 1983) – Full Version
メイ氏ご自身による、リックの贅沢な解説。レッド・スペシャルとAC-30のライブ用セッティングで、「あの曲のあの音」を奏でてくれます。さすがにイギリスの方だけあって、アメリカ人のカラっとしたサウンドとは違う、いかにもイギリス人な「ダークさ」のある「ブリティッシュサウンド」です。
スマイル解散からクイーン結成、バンドの躍進とメンバー間の確執、和解の末に出演するライブエイドまで、クイーンが歩んだ20年を凝縮した映画。絶妙なキャスティング、特にブライアン・メイ氏役のグウィリム・リー氏が高身長も含めて「激似」なこと、ライブエイドの場面ではドリンクの配置まで完全再現を目指したことなどから、コアなクイーンファンも納得の内容です。ドキュメンタリー作品ではないため、重箱の隅をつつくと「フレディ氏がヒゲをたくわえ始める時期が違う」など指摘されることも少々ありますが、フレディ氏の夢や情熱、強さと弱さなど、ハートの部分は正直に描かれており、「当時のクイーンをしっかり表現している」とメンバーのお墨付きを得ています。グウィリム氏のギタープレイはメイ氏ご本人がレクチャーしていますが、その過程で二人は兄弟のような親密な仲になり、その上達ぶりにメイ氏は「自分より巧い」と激賞しています。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』最新予告編が世界同時解禁!
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「イギリスの家庭には、クイーンのベストが必ず1枚はある」と言われます。自宅の雰囲気を英国風にコーディネイトしたいなら、居間には必ずコレをディスプレイしなければなりません。数々の実験や挑戦の末に完成された美しいメロディとハーモニーは、今なお私たちの胸を撃ちます。前期のベストとなる「I」は、出世作「Queen II」から1980年の「ザ・ゲーム」まで、後期ベストの「II」は1982年の「Hot Space」から1991年の「Innuendo」までをカバーしています。
Iは1981年、IIは1991年リリース。
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Queen74年発表の3rdアルバム。「キラー・クイーン」「ナウ・アイム・ヒア」など、メンバーの多彩な持ち味が発揮されたバラエティ豊かなQueenの傑作アルバム。
1974年リリース作品
1975年発表の4作目。独特のオペラ的な趣向が端的に現れている名曲「ボヘミアン・ラプソディ」が収録。
ゴージャスなピアノに支えられた「マイ・ベスト・フレンド」、ポール・マッカートニー風の「’39」、ミュージック・ホールが似合いそうな「うつろな日曜日」、メタル・ロックにペダル・キーボードを導入した「デス・オン・トゥ・レッグス」と「アイム・イン・ラヴ・ウィズ・マイ・カー」など実に多彩。
1975年リリース作品
1980年発表の8作目。
ファンキーな「地獄へ道づれ」、ロカビリー調の「愛という名の欲望」、パワー・バラード「セイヴ・ミー」、ハードな「ドラゴン・アタック」ほかバラエティに富んだ楽曲が並んでいます。
1980年リリース作品
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