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スティーヴィー・レイ・ヴォーン氏は80年代、華やかなサウンドに圧されて地味な存在になっていた「ブルース」に光を当てさせた功労者であり、現代におけるブルース・ギターの到達点を示した達人でもあります。氏ほどブルースの真髄を飾り気なく表現できたギタリストは、後にも先にもなかなかいません。
ドラッグから立ち直った矢先の事故で惜しくも帰らぬ人となってしまい、ブルースの未来は後の者たちに託され、伝説が残りました。3ピースバンド「スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブルトラブル」が遺した名演の数々は、音楽がどんどんデジタル化していく流れに抵抗するように、「生身の人間だからこそ奏でられるサウンド」を世に問い続けています。
没後もトリビュート作品がリリースされ、今なお新たなファンを獲得しています、近年では漫画「ワンピース」の重要人物、ポートガス・D・エースのモデルとなったことでも話題となりました。今回は、スティーヴィー・レイ・ヴォーン氏に注目していきましょう。
Stevie Ray Vaughan – Texas Flood (from Live at the El Mocambo) [Official Video]
400万回近い再生回数が、レイ・ヴォーン氏の影響力を物語っています。7分30秒あたりからの、ストラップを付け変えてまでの変形背面弾きは圧巻です(練習風景を見てみたい)。
スティーヴィー・レイ・ヴォーン氏とは、どんな人物だったのでしょうか。その短い生涯をチェックしていきましょう。
のちにスティーヴィー・レイ・ヴォーンを名乗るステファン・レイ・ヴォーン(Stephen Ray Vaughan)氏は、1954年10月3日、テキサス州ダラスに生まれます。幼少のころから兄のジミー氏に憧れ、ドラムやサックスなどさまざまな楽器を試し、7歳の誕生日に最初のギターを受け取りました。アルバート・キング氏、オーティス・ラッシュ氏、マディ・ウォーターズ氏らブルースアーティスト、ジミ・ヘンドリックス氏、ロニー・マック氏らロックギタリストの耳コピーに明け暮れて腕を磨き、10代でプロとして地元のバーやクラブで演奏するようになります。ダラスを訪れたZZ Topとジャムったこともありました。
高校を中退したレイ・ヴォーン氏はテキサスの州都オースティンへ移り、ハコバン(ナイトクラブ所属バンド)で生計を立てます。バンドはシングルを3枚リリース、クラブではバディ・ガイ氏、ライトニン・ホプキンス氏、アルバート・キング氏らとセッションすることもありましたが、あまりの腕前からアルバート・キング氏を「死ぬほど怖がらせた」と伝えられます。しかしモントルー・ジャズフェスティバルに出演する82年までは、まだテキサスのローカル・ミュージシャン、という立場でした。
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble – Love Struck Baby (Live at Montreux 1982)
転機となった、モントルー・ジャズフェスティバルでの演奏。これに感化されたジャクソン・ブラウン氏とデヴィッド・ボウイ氏が、レイ・ヴォーン氏の運命を変えます。
1982年、モントルー・ジャズフェスティバルでの演奏が、レイ・ヴォーン氏の運命を変えます。ここでのパフォーマンスに感動したジャクソン・ブラウン氏は翌日、レイ・ヴォーン氏と朝までセッションして、ロスにある自分のレコーディングスタジオを無料で使用する許可を与えます。これを受け入れてレコーディングをしているさなか、今度はデヴィッド・ボウイ氏からのオファーが舞い込みます。
2日間のレコーディングで完成させたデビューアルバム「ブルースの洪水(Texas Flood)」は1983年のチャート38位を記録、ボウイ氏のアルバム「レッツ・ダンス」も大ヒットし、レイ・ヴォーン氏は一気に知名度を上げます。
David Bowie – Let’s Dance (Official Video)
この曲でレイ・ヴォーン氏は終盤のギターソロで参加、カッティングは名手ナイル・ロジャース氏。ツアーのオファーも受けてリハーサルに参加したものの、ギャラの交渉が決裂してレイ・ヴォーン氏は不参加に。しかし「ボウイの仕事を蹴った男」として、さらに名を上げることになったのだとか。
かねてからのドラッグ/アルコールの依存症に悩まされていたレイ・ヴォーン氏は86年に体調を崩し、入院生活を送る事になります。その後、依存症を克服し『In Step』(’89年)を発表、シーンへと返り咲きます。その後もジェフ・ベック氏と全米ツアーを行ったり、自身の兄ジミー・ヴォーン氏とのプロジェクト、ヴォーン・ブラザーズを結成したりするなど、精力的な活動でファンを喜ばせます。
しかし運命の影は刻々と彼に近づいていました。1990年8月26日ウィスコンシン州のイースト・トロイ市アルペン・ヴァレーで行われたブルース・フェスティバル、レイ・ヴォーン氏はエリック・クラプトン氏、ロバート・クレイ氏、バディ・ガイ氏、兄のジミー・ヴォーン氏らとの共演を果たします。トップで出演したレイ・ヴォーン氏の気迫の演奏に、クラプトン氏は絶句したと伝えられています。その晩、搭乗したヘリコプターが墜落、レイ・ヴォーン氏は突然帰らぬ人となりました。
享年35歳。葬儀はダラスのローレルランド墓地で行われました。棺は花束で満たされ、多くのアーティストを含む推定3,000人の会葬者が別れを惜しみました。レイ・ヴォーン氏の墓標には、
“Thank you… for all the love you passed our way.”
と刻まれました。
レイ・ヴォーン氏のプレイをおおざっぱに表現すると「ブルース」に該当しますが、R&B(リズム・アンド・ブルース)、やソウル・ミュージックといった黒人系の要素を多く含んでいます。それもそのはずで、兄のジミー・ヴォーン氏を別格とし、ジミ・ヘンドリックス氏を第一に、アルバート・キング氏、BBキング氏、フレディ・キング氏、アルバート・コリンズ氏、バディ・ガイ氏、オーティス・ラッシュ氏、チャック・ベリー氏、マディ・ウォーターズ氏、ロニー・マック氏などなど、氏に影響したミュージシャンは黒人が大多数です。また、ジャンゴ・ラインハルト氏、ウェス・モンゴメリー氏、ケニー・バレル氏、ジョージ・ベンソン氏らジャズギタリストからも影響を受けており、ブルースだけでは満たされない懐の深さを持っています。
ただし、レイ・ヴォーン氏は白人のブルースミュージシャンからの影響をかたくなに否定しており、交流があったはずのギタリストに対しても「会ったことはない」とコメントするなど、「黒人音楽で育った白人ギタリスト」というイメージを構築しようとしていた、という説もあります。
Lonnie Mack – Too Rock For Country, Too Country For Rock And Roll
レイ・ヴォーン氏は、マック氏から「心からギターを弾く」ことを学んだと言います。
レイ・ヴォーン氏は、ピッキングのタッチやギターの操作系を駆使し、一本のストラトからいろいろなサウンドを出す名手でした。その秘密の一つが、「やたら太い弦」を使っていたことです。氏が使用した弦はGHS製で、1弦から、
「.013、.015、.019、.028、.038、.058」
という変則的なゲージでした。これは.011からのゲージの1弦と6弦のゲージをアップしたものに相当し、3弦は「プレーン弦」です。いかに半音下げチューニングを採用しているとはいえ、1弦と6弦だけが極端に硬く、「12フレットで3mmほど」という高い弦高とあいまって、常人ではとてもマトモに演奏できない状態でした。
当のレイ・ヴォーン氏もダメージを負うので、指先に瞬間接着剤を塗ってガードしていたといいます。そこまでして極太弦と高弦高にこだわったのは音が気に入っているからで、生前いろいろな弦を試したらしく、時には「.017~」などというゲージに挑んだこともあったようです。
また彼はティアドロップ形のピックの尖った部分ではなく丸い部分を弦に当てて弾いていました。
Stevie Ray Vaughan – Lenny (from Live at the El Mocambo)
ギターを贈られた晩に書きあげたという説のあるインストナンバー。曲のタイトルも、奥さんの呼び名も、ギターの名前も「レニー」です。チャリチャリの鈴鳴りから太く甘い音色、力強く吠えるような音色まで駆使する、凄すぎるあまり何の参考にもならない名演です。動画ではピックの丸いところで弾こうと構えるところを目撃できるほか、6弦の見え方から弦高はかなり高そうだということがわかります。
レイ・ヴォーン氏は生前、何本ものギターを使ってきました。ここではその中でも特に名高い3本をピックアップしてみましょう。どれもいろいろと改造されていますが、好みに近づけるための改造だけでなく、使っているうちに壊れた部品を別のものに交換した結果でもあります。
ストラトキャスター「ナンバー・ワン」
スティーヴィー・レイ・ヴォーンのギターといえば、ボディ・フィニッシュがボロボロに剥げ落ちた60年代初期製のフェンダー・ストラトキャスター、通称「ナンバーワン」です。このギターを、彼は70年代初期にオースティンにあったハート・オブ・テキサス・ミュージックという楽器店で入手しました。ネックは1962年12月製のDサイズでローズウッド指板のラウンド貼り。ボディは1963年製のアルダー製です。もともとはシンガーソングライターのクリストファー・クロス氏が下取りに出していたものでしたが、ストラトをリペアに来たレイ・ヴォーン氏はこのギターに一目ぼれし、その場で自分のギターと物々交換したそうです。
ジミ・ヘンドリクス氏にあやかって左用のトレモロに換装し、フレットは彼が「ベースフレット」と呼んでいたジム・ダンロップ6100番。「SRV」のステッカーは時とともに削れては張り直され、年代によって形や位置が変わっています。なお、最初のネックはリペアの限界に達したため1989年に交換され、翌年アクシデントで折れてしまったため再び交換されています。
生前のサウンドがあまりにもパワフルだったので、いくら太い弦を張っているからといって「フェンダー純正のピックアップから出ている音ではない、パワフルなものに変更されているはずだ」と考えられていました。しかし2007年、この「ナンバーワン」の精巧なレプリカを作るため本物を検分した結果、1963年製フェンダーの普通のピックアップが使われていたことが判明しました。レイ・ヴォーン氏のサウンドは、ギタリスト自身の手によって作られていたのです。
この「ナンバーワン」は、レイ・ヴォーン氏のシグネイチャーモデルとして、フェンダー・カスタムショップで再現されています。
Stevie Ray Vaughan Stratocasterを…
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レイ・ヴォーン氏の妻レノラにちなんで「レニー」と名付けられた1965年製ストラトキャスターは、ブリッジのすぐ下に1910年製マンドリンのピックガードが張り付けられています。氏が地元の質屋で見つけたものの、値段が高くていちど断念した個体です。それを見たレノラさんはお金を工面し、氏の誕生日にプレゼントしました。氏は大変喜んで、ギターに奥さんの呼び名と同じ「レニー」と名付け、その晩「レニー」という曲を書いたと言われています。
最初の状態からシャーベル製メイプル指板のネックに交換されたほか、ブリッジがマイティマイト社製に交換、ボディはウォルナットブラウンに塗りかえられ、ボディ裏にはメジャーリーグの名選手、ミッキー・マントル外野手のサインが記されています。
「メイン」と名付けられたハミルトン製のカスタムギターは、ZZ Top在籍のビリー・ギボンズ氏より贈られました。エボニー指板いっぱいに「Stevie Ray Vaughn」の名がインレイされているのが大きな特徴ですが、内緒で製作していたところ、ご本人が「スティーヴィー・ヴォーン」から「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」にアーティスト名を変えてしまったので、指板を作り直さなければならなかった、という逸話があります。
ストラトタイプのギターでありながらスルーネック構造であること、半音下げのチューニングに合わせて弦長が26 1/8インチに延長されていることが楽器的な特徴です。
Stevie Ray Vaughan & Double Trouble – Couldn’t Stand the Weather (Video)
「ナンバーワン」を濡らしたくなかった、ということでこの「メイン」がびしょ濡れの憂き目に。この撮影のおかげでピックアップが故障してしまい、EMGからセイモア・ダンカンへ交換、またその後テキサススペシャルへと交換されました。
活動初期はJBL社のK130スピーカーユニットが付いたフェンダー・ヴァイブロヴァーブやフェンダー・スーパーリヴァーブを主に使用していました。
レコーディングではフェンダー・ツイード・ベースマンやジャクソン・ブラウンが所有するハワード・アレキサンダー・ダンブル製作のSteel-String-Singer(通称マザー・ダンブル)などスタジオにあるギターアンプも使用したようです。活動後期はハワード・アレキサンダー・ダンブル製作のSteel-String-Singerを主に使用していました。
Fender Super Reverb – Supernice!ギターアンプ
アイバニーズ・チューブスクリーマーは、ブースターとして使用。新作がリリースされるたびに買い替えていたようです。このほか、VOX社のワウ、Dallas Arbiter社のFuzz Face(In Step録音時に使われたものは改造されたもので、現在はジョン・メイヤー(John Mayer)が所有している)、Tycobrahe社のOctaviaなどが定番で、コーラスやフランジャーもたまに使用されました。
スティーヴィー・レイ・ヴォーン エフェクター – Supernice!エフェクター
チューブスクリーマーってどんなもの?TS系オーバードライブ特集 – Supernice!エフェクター
レイ・ヴォーン氏を語る上で忘れてはならないのが、「帽子」と「ストラップ」です。特にレイ・ヴォーン氏が帽子を被っていない写真や動画はほぼ無く、ファッションへの深いこだわりを感じさせます。氏が愛用した帽子は「テキサス・ハッターズ」製、8分音符の主張が強い極太のストラップは「Earth III」社製でいずれも国内での入手は困難ですが、同様のものは国内でも入手できます。「まずは形から」という人は、ストラトとTSの次に帽子とストラップをゲットしてください。
記念すべきスティーヴィーの一枚目のアルバム。後年に渡るキャリアの基本的な部分は全部ここにあるといっても過言ではありません。
ストラトキャスターから繰り出されるこれでもかといわんばかりの図太い音は唯一無二です。デビュー作ですが、もう既に一聴してSRVと分かる自分自身のギタートーンを持っています。魂がとことんこもったブルースの教則盤みたいなアルバム。
1983年リリース作品
2ndアルバム。4曲目の「VooDoo Chile」の演奏は圧巻で、このアルバム一番の山場となっています。「テキサスハリケーン」の名の通りの弦がブチ切れそうな演奏が堪能できる傑作。
1984年リリース作品
3枚目のアルバム。リース・ワイナンのキーボードはヴォーンのサウンドに深みを与え、ジャズやソウル色のより強いものへと押し上げました。
収録曲「SAY WAHT!」でスティービーは、 前代未聞の「ワウペダル+ワウペダル」という誰も考えたことのないエフェクターの使い方をしています(VOXのワウ・ペダル2つをガムテープで固定)。
1985年リリース作品
スティーヴィーの真の実力を思う存分堪能できるライブアルバム。大音量で聞けば、スティービーのアンプから、彼の非常に強いビブラートで、弦とフレットが擦れる様な生々しい音が聴こえたり、息の合ったギター、ベース、ドラムの堂々たるグルーヴと、地鳴りのようなボーカルに心地よく圧倒されるでしょう。
1986年リリース作品
CDジャケットもクールなSRVの最高傑作と呼び名も高い本作。最後の曲は13分にも及ぐ圧巻のライブ音源。最後のアルバムですが音楽的にもこれからを感じることのできる一枚。
1989年リリース作品
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