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ウィルコ・ジョンソン(Wilko Johnson、1947~)氏は、英国出身のアーティストです。シンプルながら独自の演奏法を編みだし、その活動は同国に勃興したパンク・ムーブメントのヒントになりました。音楽とプレイスタイルは多くのプレイヤーに影響しており、本国では「いろいろな場所でウィルコの声が聞こえる」とまで言われます。ドキュメンタリー映画が2本も作られたほか、俳優としてのキャリアもあり、日本のロックミュージシャンとの深い親交でも知られています。
Wilko Johnson – All Through The City – Jools’ Annual Hootenanny – BBC Two
印象的なカクカクの動き、そしてピックを使わない大胆なピッキング。これが英国の至宝、ウィルコ・ジョンソン氏です。
力強い眼の迫力と常時しかめっ面の表情、また烈しいステージングから「狂人」や「危険人物」などと評されるウィルコ氏ですが、知的な英国紳士という一面もあります。ステージを降りれば物静かな読書好きで、知識は学位を持つ英文学と英語学のほか古典英語やラテン語、新約聖書と旧約聖書ほか各国の文化や宗教、政治や絵画、天文学など幅広く、シェイクスピアの作品を暗唱することもあります。
ウィルコ・ジョンソン氏は1947年、ロンドンから車で東へ1時間ほど、エセックス州キャンベイ・アイランドに住む労働者階級の家庭に生まれます。高校在学中からバンドをやっていましたが成績優秀でもあり、全英屈指の名門ニューカッスル大学に入学してからしばらく、ギターから遠ざかります。
大学在学中に結婚しますが、卒業後ヒッピーとしてインドとネパールを放浪、帰国後は地元の高校で教師として働きます。このとき誘われて組んだバンドが「Dr. Feelgood(ドクター・フィールグッド)」です。
Dr. Feelgoodは、危ない歌詞と高エネルギーなライブパフォーマンスが人気を集め、ライブアルバム「Stupidity(殺人病棟。1976年)」がリリース直後に全英チャート1位を記録します。ブルースやR&Bを主体とするサウンドは、パブやクラブなど比較的小さな会場でのライブ、スタジオワークに頼らないライブ感を重視したレコーディングといった特徴から「パブロック」と呼ばれます。パブロックはプログレやグラムロックなど当時のメインストリームに対するアンチテーゼとして一定の支持を受け、パンク・ムーブメントのきっかけとなりました。
バンド自体は順調でしたがメンバー間の確執を解消することができず、1977年にウィルコ氏は脱退します。
Dr Feelgood – Roxette (Live) (2005 Remaster)
やたら前後に歩くライブパフォーマンスは、この時期のお約束です。楽曲のノリをわざと外してこのように動くのには、なかなかの修練が必要です。
Dr. Feelgoodを脱退してからしばらくは自分のバンドを組んだりバンドに加入したり客演したりといった活動を模索します。メガヒットこそありませんが、ライブに録音に継続的に励みます。自身のバンドメンバーが固定化したのは1985年頃で、このころ来日公演を果たして以来、来日は十数回に及んでいます。日本では特に鮎川誠氏との交流が深く、レコーディングに協力したりジョイントツアーを敢行したりしています。
BE-BOP-A-LULA 鮎川誠 LONDON SESSION シーナ ウィルコジョンソン 【貴重映像】
ウィルコ・ジョンソンバンドをバックに従えてロンドンでレコーディングしたという、鮎川誠氏のアルバム「LONDON SESSION #1」より。ウィルコ氏は、ボーカルとしても参加しています。
2004年に最愛の妻を大腸癌で失くしますが、ご本人も2013年に手術不能の膵臓癌と診断され、余命10ヶ月と宣告されます。ウィルコ氏は永年うつ病にも悩まされていましたが、生命のタイムリミットを告げられたとたん、高揚感とともに生きていることの実感がわき、うつは解消したと伝えられます。
2か月延命できる化学療法を断ったウィルコ氏は積極的にツアーや録音を行いますが、腫瘍がお腹から出っ張っており、ギターの演奏には邪魔だったようです。ツアーの途中で手術ができるという医者に出会い、癌の摘出手術を受けることが決まります。
手術は10時間に及び、メロンのような大きさの3Kgの腫瘍のほか腸の大部分、脾臓と膵臓を全摘し、今後は1日20錠も薬を服用しなければならなくなりましたが、ウィルコ氏は見事に癌を克服しました。しかしその反動からか、再発したうつに悩まされるようになります。
Dr. Feelgoodのドキュメンタリー「Oil City Confidential(2009)」、余命宣告からのライブ活動と摘出手術、復帰までのドキュメンタリー「The Ecstasy of Wilko Johnson(2015)」、二つの映画が作られました。特に「The Ecstasy~」はかなりのヒット作となり、本国ではBBCでの放映も行なわれました。これによりウィルコ氏は、「パンク界のカルトヒーローから英国の至宝へと昇格した」と伝えられます。
“Bring me his head” #ForTheThrone Clip | Game of Thrones | Season 1
TVドラマ「Game of Thrones」では、シーズン1と2で処刑人イリーン・ペイン役を演じました。
ウィルコ氏は今なお、マディ・ウォーターズ、チャック・ベリー、ボ・ディドリーの曲を初めて聴いたときの感動を忘れず、そこをずっと掘り下げていると言います。また英国のR&Rバンド「Johnny Kidd & The Pirates」をコピーしようとしてなかなか弾けなかったことから、独自の演奏法を編みだしました。
音楽に関心のなかったウィルコ氏は学生時代、学校で見かけたエレキギターのルックスに惚れて、左用のギターを手に入れます。しかしそのギターは調整が酷く、弦高は1インチもあって、全然弾けませんでした。
それからもう少し良い状態のギターを手に入れる機会があったのですが、これは右用でした。そこでウィルコ少年は右利きに切り替えることにしたのですが、両手に要求される動作が直感に反することから、かなり苦労したようです。結果、ウィルコ氏はどうにか右用のギターを弾くことができるようになりましたが、ピックを使うのはあきらめて指で弦をヒットするようになりました。
Wilko Johnson, Roger Daltrey – Going Back Home
ロックバンド「The Who」所属ボーカリスト、ロジャー・ダルトリー氏とのコラボでリリースしたアルバム「Going Back Home (2014)」より。余命10か月と宣告されてからのこのパフォーマンス。ウィルコ氏は常にガシガシとストロークするスタイルですが、いろいろあってピックは使わず、素手で演奏します。
ウィルコ氏が左利きだということは、氏の演奏スタイルにおいて重要な意味を持っています。氏はピックを使いませんが、いわゆるフィンガーピッキングではありません。常にダウン&アップのストロークで、弦を大ざっぱにヒットします。これに対して左手は、コードのフォームを用意しながら全弦をミュート、必要な弦だけを押さえることで、リフもコードカッティングもギターソロも演奏します。歯切れの良いカッティングも、利き手である左手によるミュートのテクニックによるものです。
ウィルコ氏は自身の演奏法について、「世界に伝えたい事は、右手は常にダウン&アップで、全ての作業を左手で行うことだ」とコメントしています。このスタイルにより氏の演奏は、ミュートした弦を叩く打撃音が常に混在するパーカッシブなサウンドになります。「リフとコードを同時に弾いている」とレビューされることがありますが、左手がコードのフォームを準備しているからそう聞こえることもある、というわけです。
Wilko Johnson, Roger Daltrey – I Keep It To Myself
ソロでもバッキングでも、右手は常時ダウン&アップ!コレがウィルコ・ジョンソン奏法の真髄です。
ウィルコ氏は昔から上下黒のファッションに仏頂面で、現在はそれにスキンヘッドという要素も加わる、一度見たらなかなか忘れられない独特の風貌を持っています。ステージでは「Duck Walk」や「Clockwork movement」と表現されるカクカクとした動き、またカールコードを伸び縮みさせながら前後に歩くようなアクションを基本とし、ギターを銃のように構えて観客を狙うのは「マシンガン・ギター」と呼ばれます。
Riot in cell block Number Nine (Live) (2005 Remaster)
ギターを銃のように構える「マシンガン・ギター」は、ウィルコ氏の得意技。
ウィルコ氏の使用する機材は極めてシンプルで、ギター、カールコード、ギターアンプ、以上でおしまいです。エフェクターを使用することはなく、常に張りのあるクランチで演奏します。
Wilko Johnson “Tokyo Session 2013” at RedShoes / DVD Trailer
日本の友人たちとのセッションの光景。この時ばかりは、さすがのウィルコさんもお顔がほころんでいるご様子。
ウィルコ・ジョンソン氏は、自身の神であるミック・グリーン氏(Johnny Kidd & The Pirates所属)が愛用していたという理由で、18歳だった1965年に1962年製テレキャスターを手に入れます。Dr.Feelgoodがレコード契約を獲得した1974年には、同じ年式のリイシューに持ち替えます。いずれも演奏性やサウンドバリエーションなどにこだわった改造を施すことはなく、サンバーストだったボディを黒く塗り、ピックガードを紅く塗っています。
ピックガードが紅いのは、素手のストロークによる出血をカモフラージュするためです。フェンダーからこの紅黒のカラーリングを再現したアーティストモデルが発売されてからは、ご自身モデルを使用しています。
Dr.Feelgood時代には英国メーカーHarrison and Heald(H&H)社製「IC100」を愛用していました。入力チャンネルを複数持つトランジスタアンプで、PAとしても使用できました。1977年に生産は終了していますが、英国のショップを巡回すればまだ見つけることができるようです。そこからフェンダー社製「Twin」をしばらく使っていましたが、現在では高級ブティックアンプ専門Cornell社製シグネイチャーモデル「Wilko Johnson Custom Amplifier」を使用しています。
「コーネル」は、エリック・クラプトン氏はじめ多くのトッププロに支持されている高級アンプメーカーです。ウィルコ氏のシグネイチャーモデルは、氏を象徴する赤と黒のデザインで、中身は1957年製フェンダー「Twin」を意識した、総ハンドワイアリングで40Wの真空管コンボアンプです。操作系は極めてシンプルで、ツマミは音量のほかトレブルとベースだけです。ウィルコ氏はいつでも全部「7」に設定して使用します。
末期の膵臓癌を奇跡的に克服、2017年にソロ30周年と70歳の誕生日を迎えたウィルコ・ジョンソン氏が、昔ながらの仲間と合流して新たに仕上げた作品。手術で内臓をいくつか失ったとしても、ギターのキレとロックへのスピリットは全く失われていません。
Wilko Johnson – Marijuana (Radio Edit)
Dr.Feelgood最盛期の演奏を収録、発売した週に全英チャートで首位を獲得したライヴ・アルバムです。ライブをそのまま録り直すことも無く収めており、熱心なファンならば「カールコードが伸び縮みするのまで感じられる」と言われます。
英国屈指のロックバンド「The Who」所属ボーカリスト、ロジャー・ダルトリー氏とのコラボで仕上げたアルバム。アルバムを制作していた当時のウィルコ氏は、末期癌の宣告を受けて自らの死を受け入れていた時期でした。演目はウィルコ氏の過去の作品が中心ですが、死を目前に控えているとは思えない、はつらつとしたR&Rを堪能できます。
以上、英国の至宝、ウィルコ・ジョンソン氏について見ていきました。アメリカのシーンでは地味な存在かもしれませんが、本国ではセックスピストルズやザ・クラッシュなど多くのパンク系アーティストから尊敬されている、カルト的な支持を受けるアーティストです。パンクをさかのぼった先に鎮座する伝説的ギタリストのサウンド、ぜひいろいろな曲をチェックしてみてください。
Interview:INDEPENDENT、GUITARS Exchange、Every record tells a story、Guitar.com、musicrader
Wikipedia:Wilko Johnson(JP)、Wilko Johnson(EN)、Dr.Feelgood、Pub Rock、Newcastle University、Game of Thrones
Biography:Universal Music Japan、Mirror、
Equipments:EQUIP BOARD、Cornell AMP
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