《90年代ロックシーンの重要なアルバム》The Smashing Pumpkins「Siamese Dream(1993)」

[記事公開日]2021/3/22 [最終更新日]2021/4/22
[ライター]小林健悟 [編集者]神崎聡

スマッシング・パンプキンズ

日本では「スマパン」の愛称で知られている「The Smashing Pumpkins(スマッシング・パンプキンズ)」は、グランジが世を席巻した1990年代から活躍している、オルタナティブ・ロックバンドです。轟音のギターとドラム、絶叫系のボーカル、静から動への急激な展開といったグランジのスタイルを得意としながら、ハードロック、ヘヴィメタル、ポップス、カントリー、シューゲイザーなど、ジャンル横断的な音楽性が世界的に支持されています。

スマパンを世界的なバンドへと押し上げたのが、1993年リリースの2ndアルバム「Siamese Dream(サイアミーズ・ドリーム)」です。今回は、この作品に注目していきましょう。


The Smashing Pumpkins – Today (Official Music Video)
澄みわたるクリーントーンと凶暴なファズが共存する、初期スマパンの名曲。冒頭部分の美しさとは裏腹に、歌詞のテーマは自身の鬱状態と自殺願望です。「Today is the Greatest(今日は最高の日だ)」という歌詞は、これ以上悪くなりようがない、という現状の裏返しだったわけです。

「The Smashing Pumpkins」とは、どんなバンドなのか?

「スマッシング・パンプキンズ(以下、スマパン)」は1988年、シカゴにて結成されました。2000年にいったん解散しますが、2006年に新メンバーを迎えて再結成、幾度かの人事異動を経て現在も活動を続けています。ここでは、解散までのスマパンがどんなだったかを見ていきましょう。

バンドの歩んだ歴史

まず、2000年の解散まで、スマパンの歴史をざっと見していきましょう。

結成からメジャーデビューまで(1988~1991)

フロリダで活動していたバンドが解散し、故郷シカゴのレコード店に就職したビリー・コーガン氏(ギターボーカル)が、ジェームス・イハ氏(ギター)と意気投合、ドラムマシンを使って二人で活動を始めます。ここにダーシー・レッキー女史(ベース)とジミー・チェンバレン氏(ドラムス)が合流します。

バンドの活動は順調で、翌年には地元のコンピレーションアルバムに参加、その次の年に発売したシングルは完売しました。この勢いでキャロラインレコード社と契約、アルバムの制作に入ります。デビューアルバム「Gish(1991年)」は、チャートで195位と控え目なランキングでしたが、グランジ/オルタナ愛好家の胸を打つ名盤として、今なお厚く支持されています。

バンドは大物アーティストの前座など、ツアーを重ねてファンを獲得していきました。しかしコーガン氏は重い鬱病を患い、イハ氏とレッキー女史は禁断のバンド内恋愛からの破局、チェンバレン氏は薬物とアルコール依存、といった感じで、バンド内にいろいろな問題を抱えながらの活動でした。


The Smashing Pumpkins – Siva (Official Music Video)

2ndアルバムのヒット、3rdアルバムのメガヒット(1992~1996)

1990年代初頭は、ニルヴァーナ、パール・ジャムといったオルタナ/グランジのサウンドが音楽シーンを席巻していました。スマパンの音楽が受け入れられる下地ができた反面、群雄割拠するライバルの中からのし上がらなければならないというプレッシャーの中、2ndアルバム「Siamese Dream(1993年)」は発売したとたんチャート10位を記録し、米国内だけで400万枚を売り上げました。


The Smashing Pumpkins – Cherub Rock (Official Music Video)
この時のコーガン氏には、まだ頭髪がありました。きれいさっぱり丸めてしまうのは、次のアルバムのツアーの時からです。

56曲から28曲まで絞り込んだという2枚組3rdアルバム「Mellon Collie and the Infinite Sadness(1995年)」は、遂にチャート1位を獲得します。米国で500万枚の売り上げを記録し、過去10年で最も売れた2枚組アルバムとなったほか、7部門でグラミー賞にノミネートされるなど、バンド史上最高の支持を受けました。しかしこのアルバムツアー中に薬物のトラブルがあり、サポートメンバーが死去、チェンバレン氏は麻薬所持容疑で逮捕、バンドをクビになります。


The Smashing Pumpkins – Bullet with Butterfly Wings (Official Music Video)
アルバム「Mellon Collie and the Infinite Sadness」より。各チャートにて好成績を挙げたほか、1997年グラミー賞「ベスト・ハードロック・パフォーマンス」を受賞。このアルバムのツアーで、コーガン氏はスキンヘッドとこのZEROと書かれたロンTをトレードマークにしていましたが、頭を丸めた理由については「全部切ってしまったから、話すことは何もない」とコメントしています。

路線変更からの解散(1997~2000)

メンバーを補充して再起動したスマパンは、いったんエレクトリカ路線へ軌道修正します。映画「バットマン&ロビン(1997)」のサントラに収録されている「The End Is the Beginning Is the End」は8か国でトップ10に到達し、グラミー賞の最優秀ハードロック・パフォーマンス賞を受賞します。


Eye
米仏合作映画「Lost Highway(1977年)」のサウンドトラックより。轟音路線からエレクトリカ路線へ大きく路線変更します。

1999年にドラムのチェンバレン氏がバンドに復帰しますが、入れ替わるような形でベースのレッキー女史が脱退、代わりにメリッサ・オフ・ダ・マー女史が加入します。バンドのサウンドは本来のオルタナティブ・ロックへと回帰しましたが、期待したほどの支持は得られませんでした。2000年12月、バンドを立ち上げたシカゴでラストライブを開催し、スマパンはいったん解散します。

バンドの独自性

次は、スマパンだからこその部分をチェックしていきましょう。このバンドにはどんな特徴があるのでしょうか。メンバーのキャラクターに注目して、当時のスマパンの個性を探してみましょう。

「専制君主」ビリー・コーガンのファズサウンド

特に初期の作品においては、アルバムで鳴っているギターとベースのほとんどを、ビリー・コーガン氏が演奏しています。そのため氏のことを専制君主と揶揄する意見もありましたが、それによって生まれたアルバムがロック界を席巻した、という実績に間違いはありません。事実、アルバム「Siamese Dream」のファズサウンドは、その後のオルタナティブ・ロックに大きく影響しました。他のバンドがやれオーバードライブだのやれディストーションだのと浮気している間、コーガン氏は一途にファズを使い続けていたのです。

友人のバンドに触発されて75ドルで買ったというコーガン氏のファズは、70年代後半にごく少数生産されていたオペアンプ式の希少なビッグマフ、通称「オペアンプマフ」でした。「ディストーション寄りのファズ」と呼ばれるビッグマフですが、オペアンプ式はそこからちょっとファズ寄り、と言われます。2017年に発表された「OP-AMP Big Muff Pi」は、エレクトロハーモニクス社とコーガン氏のコラボレーションで1978年製のオペアンプマフを復刻、「Siamese Dream」のサウンドをしっかり再現することができます。


Geek U.S.A. (Remastered)
メタル愛好家でパンテラが大好きだというコーガン氏のメタル愛が伝わってくるかのような、グルーヴメタル的な演目。「腕前を過小評価されがち」という、ギターボーカルあるある。コーガン氏もその例に漏れませんが、時に氏のギターは、吠えるようなソロを奏でます(動画3分あたりから)。

ドラムがやたら巧い

ジミー・チェンバレン氏は、スマパン加入まではジャズドラマーでした。オルタナなど聞いたこともなかったと伝えられますが、ソフトにもハードにも、もっとハードにも叩ける腕前と安定的なグルーヴは、各方面で高く評価されています。「Quiet(静寂)」というやかましい曲や「Geek U.S.A.」といったグルーヴメタルを彷彿させるハードな曲ではガッツンガッツンに、「Cherub Rock」ではヘヴィな中に小技を織り交ぜ、時に繊細なプレイを披露するなど、バンドのサウンドに対して大いに貢献しています。一時期、レコーディング中だというのに何日も音信不通になるような薬漬けでしたし、一度はクビにもなりました。しかしそれでも、スマパンにはチェンバレン氏のドラムが必要だったわけです。

クールな女性ベーシストを起用

「ベースが紅一点」というバンドは今でこそ珍しくありませんが、1990年代当時としてはなかなかに稀有な存在でした。その意味で、男どもがギャンギャン言わせている間に淡々とビートを刻む、ダーシー・レッキー女史の存在感は、スマパンのステージに一つのアクセントを添えていました。確かにアルバムへの貢献度は低かったかもしれませんが、当時のレッキー女史はクールな女性ベーシストの代表格でした。

後任のメリッサ・オフ・ダ・マー女史は実力派として知られ、スマパン以後もソロアーティストとしてアルバムを発表するなど、現在も活動を続けています。


The Smashing Pumpkins – The Everlasting Gaze
メリッサ氏在籍時代の貴重なPV

コーガン氏と好対照のギター

ギター担当のジェームス・イハ氏は、レコーディングこそコーガン氏に多くを譲っており控えめな印象ですが、静寂時のコードボイシングやギターアンサンブルの構築など貢献度は高く、曲も書いており、スマパンには不可欠な存在です。

日本語は全く話せませんが、イハ氏は日系2世で、苗字は「伊波」です。スマパンのステージは、中央に白人男性、両翼を女性と東洋系が担います。舞台に立った時点で、スマパンは個性的なのです。


James Iha – Be Strong Now
ソロアルバム「Let It Come Down(1998年)」は、イハ氏ご自身がスマパンに寄稿した曲を彷彿とさせる、よりアコースティックなカントリーサウンドにフォーカスしたアルバムです。ほっとするような、明るく前向きなサウンドが印象的。

「Siamese Dream」は、どんなアルバムなのか?

「Siamese Dream」は、スマパンの人気を確実なものとした名盤であり、90年代のロックシーンを語るうえで重要なアルバムです。シンプルにロックのかっこよさが伝わってくる作品ではありますが、どんなところが聞きどころなのかを探ってみましょう。

重厚なギターアンサンブル

前作「Gish」の時点で、コーガン氏はギターによる多重録音の可能性を数多く模索しています。本作ではそれが完成の域に達し、粗暴なサウンドを扱いながらも「精緻なアレンジで整然とまとめられている」といわれます。わかりやすいところでは、ヒット曲「Today」では、淡々としたクリーンのアルペジオとファズの轟音を見事に調和させています。ほかの演目においても、轟音ファズの向こうにメロディが隠れていたり、そのメロディがハモったり、場面ごとに音圧をガラリと変化させたりなど、ライブでの再現が極めて困難な領域にまで踏み込んだアレンジが、随所で見られます。

起伏のある演目。長編では展開の妙技も

本作では各演目で、ガッツンガッツンに暴力的なグルーヴから、一気に澄みわたった静けさが訪れたり、またはその逆があったり、といった急激な展開が楽しめます。佳曲「Mayonaise」では、寂しげなイントロから徐々に盛り上げつつ、次にドンっと来ると思わせてさらに上を行く轟音が放たれます。逆に徹頭徹尾ゴリゴリやって終わり、という演目はなく、どの曲もその緩急を味わえるように作られています。

6分を超える大曲が3曲あるのもポイントです。1曲の中で静から動へ、また疎から密へとじわじわ展開していく中で、ギターの音がさまざまな役割を演じます。何パートも重なった重厚なところもあれば、1本か2本だけの薄い箇所もあり、飽きさせません。「Soma」では広がり感のあるオーケストレーションのため、同時に40本もギターを鳴らす場面があると伝えられます。

闇の深い歌詞と、バンドサウンドとの関係

ビリー・コーガン氏は複雑な生い立ちから、うつ病などさまざまな心の病を抱えています。氏の書く歌詞には、やや分かりにくい感じの言い回しの奥に、その心の闇や辛い記憶が吐露されます。苦悩、自殺願望、絶望感など、氏の歌詞は基本的に全編ネガティブな内容なんですが、それゆえに説得力があり、極めてロック的です。これに対して歌メロや楽曲は、のびやかで力強い印象を覚えさせます。歌詞と楽曲との対比、これに轟音ファズと良好に調和する声質も手伝い、やはりスマパンはこのボーカルあってのものだと感じさせられます。


1990年代グランジ/オルタナティブ・シーンを代表するアルバムの一つ!The Smashing Pumpkins「Siamese Dream」 – 六弦かなで

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