《早世の天才》ランディ・ローズ(Randy Rhoads 1956-1982)

[記事公開日]2019/10/5 [最終更新日]2021/6/28
[ライター]小林健悟 [編集者]神崎聡

オジー・オズボーン氏のバンドで世界的に名を上げたランディ・ローズ氏は、

  • 美しく整ったルックス、
  • 卓越したセンスと演奏技術、
  • 誰からも好かれる紳士的な性格、

という3拍子揃ったギタリストです。惜しくも早世したものの、同時代に活躍したエドワード・ヴァン・ヘイレン氏と並び、「80年代におけるロックギターの進化に大きく寄与した」と評されたことで伝説となっています。今回は、このランディ・ローズ氏に注目してみましょう。


OZZY OSBOURNE – “Mr. Crowley” 1981 (Live Video)
「ポルカドットV」を演奏するランディ・ローズ氏。舞台の袖にはレスポール・カスタムとランディV試作1号機「コンコルド」が鎮座しています。それにしても、現代の感覚で見るとオジーのファッションはなかなかです。

Biography

今なお多くの人にとってのギターヒーローであり続けているランディ・ローズとは、どういう人だったのでしょうか。その短すぎる生い立ちを、短めに紐解いていきましょう。

誕生~キャリアスタート

ランドール・ウィリアム・ローズ、のちのランディ・ローズ氏は、1956年12月6日、カリフォルニアに生まれます。その後、
8歳でロックギターに目覚め、
12歳の誕生日にギブソンのアコースティックギターをプレゼントされたことでギターを始め、
13歳で母親の経営する音楽学校でエレキギターのレッスンを受講、
14歳のころには、担当講師に「教えられたことを総て覚えている」と言われるほど上達し、
17歳でギター講師を始めます。
19歳でロックバンド「クワイエット・ライオット」を結成、
21歳の時にソニーからデビューし、2枚のアルバムを制作しました。

オジーとの3年間

デビューを果たしたとはいえ、クワイエット・ライオットのアルバムリリースは日本国内のみ、という状態でした。そんな23歳の時、「オジー・オズボーンがギタリストを探している」というニュースが舞い込みます。ランディ氏は自分のバンドに腐心しており乗り気ではありませんでしたが、周りに勧められてオーディションを受けます。ギターのチューニングを済ませ、ちょろっと弾いたところでオジー氏はそのオーラに打たれました。ランディ氏はオジー氏のバンドメンバーとなり、また親友となりました。
2枚のアルバムを発表して、ランディ氏は「新たなギターヒーロー」として注目を集めます。

  • 何かと背徳的で黒いイメージのあるオジー氏、
  • ドラッグとは無縁で紳士的なランディ氏、

という対称的な二人は「天使と悪魔」と言われることもありました。
しかし、ランディ氏本人はクラシックへの想いが高まっており、バンドをやめて音楽大学でクラシックギターを学びたい、とメンバーに漏らしていました。
そんなランディ氏の想いはよそに、バンドの人気は高まる一方でした。全米ツアーに出ているさなか、遊覧飛行で搭乗したセスナ機がオジー氏の眼前で墜落、ランディ氏は帰らぬ人となりました。享年25歳。代役のギターを立てて無理やりツアーを続行させたものの、ツアーを終えたオジー氏は、喪失感から酒とドラッグに溺れてしまいます。

悲しいツアーと未来

全米ツアーの残り7回には、アイルランド在住のギタリスト、バーニー・トーメ氏が参加しました。ツアーの再開はランディ氏の亡くなった10日後でしたが、トーメ氏は超人的な頑張りで、どうにか演目を把握します。オジー氏は立ち直ることができず、観客の前では最高のパフォーマンスを見せながらも、ステージを降りたとたんに泣き崩れる、という悲しいツアーが続きました。
生前のランディ氏が楽しみにしていたというMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)での公演。「ランディを出せ!」というヤジが飛び交う中で演奏するトーメ氏のプレイに「まさしくランディのトーンで、驚異的だった」と感銘を受けた少年が成長し、ザック・ワイルドとなって現在オジー氏のギターを務めています。
ランディ・ローズ氏以降、ザック・ワイルド氏、ジェイク・E・リー氏、ガス・G氏ら7人のギタリストが着任しました。その誰しもが、ランディ氏のフレーズに対して「弾かせてもらっている」と深くリスペクトしているといいます。ランディ・ローズ氏は、今なお多くのギタリストの憧れなのです。

ランディ・ローズのプレイスタイル

ランディ・ローズ氏のプレイスタイルは、今や世界中のロックギタリストが取り入れ、または参考にしており、現代の感覚では「逆に特徴がない」とまで言えそうな、ハードロックの王道ど真ん中です。しかしランディ氏だからこそ到達しえた、

  • ベースノート・ペダルを活用したコードワークや、キャッチーなリフ
  • ピッキング・ハーモニクスを絶妙に絡めたオブリガード
  • 気迫を感じさせるチョーキングやビブラート
  • クラシックの素養を存分に活かした、メロディアスかつドラマチックなギターソロ

こうした演奏は、ギタリストの手本として今なお輝きを失っていません。
またトリッキーなプレイにも造詣が深く、スイッチング奏法やライトハンドなど、いろいろな技を積極的に取り入れています。

「クラシカル」だからこその音使い

使っているスケールの面でも、ランディ氏は個性を発揮しています。その一例を、ランディ氏の演奏の中でもとりわけ評価の高い「Crazy Train」から見てきましょう。


OZZY OSBOURNE – “Crazy Train” (Official Video)
「クレイジー・トレイン」はオジー・オズボーン氏のソロデビューアルバムに先行リリースされたシングル。動画の音源はライブアルバム「Tribute」のものです。ここで繰り出されるギターソロは、名演続きのアルバム内でもひときわ輝いています。

動画2:59以降、チョーキングで泣いてからの下降フレーズを聞いてみましょう。普通のロック奏者ならば「F#マイナーペンタトニックスケール」を使用する場面です。ところがランディ氏は、「F#ナチュラルマイナースケール」に「ブルーノート」と言われる「ナチュラルC音」を加えて演奏しています。ロック/ブルース系のスケールではなく、クラシックで使用するスケールを使用しながら、ブルースの特徴であるブルーノートを追加しているのです。
ロック系のフレーズでありながらメロディアスである、クラシックのバックボーンを感じさせる、というランディ氏の持ち味は、スケールの使い方にも秘密があったわけです。

ギタースケール

ランディ・ローズの使用機材

オジー時代にランディ氏が使用した機材の基本は、「レスポール+ディストーション+マーシャル」というロック系の王道です。ピックはフェンダーのティアドロップ型、厚さはミディアムで、これも王道。これほどまでにいわばまったく普通の機材を愛用してきたランディ氏が、なぜ「ポルカドットV」や「ランディV」などというあまりにもド派手なギターを手にしたくなったのか、いろいろ想像しながら見て行きましょう。

Gibson Les Paul Custom(1974)

クワイエット・ライオット時代から長らく愛用してきた1974年製のレスポール・カスタムは、ホワイトだったカラーが経年変化でクリーム色になっています。この時代のレスポールは

  • ボディトップ:メイプルを「川」の字に並べた3P
  • ボディバック:マホガニー+メイプル薄板+マホガニーの「パンケーキ構造」
  • ネック:マホガニー3P

という作りで、良質な木材の確保にかなり苦しんだと見られています。しかし木材を貼り合わせることで、本体の剛性が向上します。この頑丈なギター本体に「ラージヘッド」と言われる大型化したヘッド、ネック折れを防ぐネックボリュート(ナット裏の膨らみ)という構造が相まって、力強く引き締まったサウンドが得られます。そのため、ハードロック全盛期のレスポールとしては理想的な設計だったと言えるでしょう。
電気系などの改造は施されなかったようですが、ピックガードに「RANDY RHORDS」の名を刻み、セレクターノブとスイッチプレートをブラスに、コントロールノブをゴールドのスピードノブに交換するのがランディ仕様です。

Polka Dot V by Karl Sandbal

1979年、ランディ氏がカール・サンドバル氏にフルオーダーしたというド派手なフライングVタイプ。ライブ盤「トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ~」のジャケット写真でランディ氏の構えているギターが、このポルカドットVです。表も裏も黒字に白の水玉模様が並び、ヘッドの形も特徴的ですが、何よりもセレクタースイッチが低音側に付けられている謎仕様が大きな特徴です。後にも先にもこの位置にセレクタースイッチを付けたギタリストはいません。ピックアップについては、リアにディマジオ製「スーパーディストーション」、フロントに同じくディマジオ製「PAF」が使用されました。
またこのギターにはフェンダー的な要素がちょっと求められていたようで、シンクロナイズド・トレモロユニットを備えるとともに、21フレット仕様となっています。

Jackson Randy Rhoads V(Prototype)

今やメタルギターの定番となっている「ランディV」は、ランディ・ローズ氏自らの発案により1981年から開発が進められました。しかしランディ氏の夭折で、試作3号機がテストされる機会は失われてしまいました。現在の「ランディV」は、試作2号機の末裔です。

  • 試作1号機「コンコルド」:白いボディに黒いストライプ、ブロックインレイ、シンクロナイズド・トレモロユニット装備
  • 試作2号機:黒いボディに金色のピックガード、シャークフィン・インレイ、TOMブリッジ

1号機は「低音側ボディサイドにセレクタースイッチが付く」という謎仕様でした。インパクト充分な非対称Vでしたが、ランディ氏にとってはまだまだトガり方が足りなかったらしく、2号機ではさらにシャープなボディシェイプが採用されています。両機とも、ピックアップにはセイモア・ダンカン製が使用されました。

Jackson Randy Rhoads V Jackson JS32 Rhoads(Randy V)

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Marshall JMP 1959 Super Lead(100W) & MXR Distortion+

クワイエット・ライオット時代には違うアンプを使用していたようですが、ランディ・ローズ氏といえばオジー時代で使用したマーシャル「JMP 1959スーパー・リード」とMXRの「ディストーション+」の組み合わせが有名です。ディストーション+はソロの時に使用しており、エフェクターはこのほかMXRのステレオコーラスやフランジャー、10バンドイコライザー、コルグやローランドのテープエコーなどをシステム化し、操作はフットスイッチにまとめていました。
ブラッド・ギルズ氏はオジー氏のバンドに参加する際、ランディ氏の忘れ形見であるアンプとエフェクターを使用するよう求められましたが、ギターの音量を切ってもやたら出てくるノイズに悩まされ、とても使いこなすことができなかったそうです。いっぽう生前のランディ氏は、ボリュームペダルを駆使してうまいこと使っていたようです。

MXR Distortion+ – Supernice!エフェクター

Discography

血塗られた英雄伝説(Blizzard of Ozz/1980)

血塗られた英雄伝説

ブラック・サバスを脱退したオジー・オズボーン氏の、ソロ・デビュー作。オジー氏が才能あるギタリストを発掘するセンスに長けているという印象は、このデビュー作で一躍ギター・ヒーローとなったランディ・ローズに起因するところが大きいでしょう。このアルバムでランディ氏は、冒頭を飾る「クレイジー・トレイン」のロック史に残る名リフや、「ミスター・クロウリー」の叙情的なソロなど、オジー氏の世界観を際立たせる名サイドマンっぷりを惜しみなく発揮しています。クワイエット・ライオット時代から一皮も二皮も剥けたクラシカルな要素をハードロックのフォーマットに落とし込んだスタイルで、リスナー達の度肝を抜いた。、発表後30年以上を経た今でもフォロワーを生み続けている名盤です。

トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ~(Tribute/1987)

トリビュート~ランディ・ローズに捧ぐ~

1981年のカナダでのツアーを収録した、ランディ・ローズ氏唯一のライブ盤。オジー氏のソロ作とブラック・サバスの楽曲を織り交ぜた演目のすべてが名演です。端正なルックスのイメージと裏腹の、アグレッシブかつスムースなランディ氏のプレイは、今なおギター奏者のあこがれとして語り継がれています。しかしバンドメンバーの証言によると、調子が良い時のローズ氏はこれ以上の熱と気迫を感じさせたのだそうです。
そして最後は、クラシックギターによる美しき佳曲「Dee」のレコーディング風景。ランディ氏の肉声が確認できる、貴重なテイクです。こんな人が若くして死んでしまっただなんて、あまりにも惜しい。オジー氏との友情がうかがえるジャケ写から素晴らしい内容から、泣かずにはおれない作品。

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